<私の仕事> |
私は 分掌でも「自分が納得できる」まで考えなければ提案できない主任でした。学校という所は不思議にも 体育部・視聴覚・安全指導・研修部などのメンバーが重なる所です。 それぞれがその部署の主任を兼ねていると 一から相談という訳にもいかず、ある程度の「成案」を作って部会に臨まないと いくら時間があってもどこかが動けなくなります。 大規模校から小規模校に異動すると 仕事内容は一緒ですので より個々の負担が増えます。 おまけにクラス人数も 20人台の学年もあれば 40人台の学年もでき、目にみえない労働量格差が生じます。 *************************************** <体調の変化に気づいた時> 1. 今までは 余裕を持って出勤できたのに、いつからかギリギリの時間に出勤するのがやっとという状態に(疲労蓄積) 2. これは誰にでも多少はあるのですが、カギは閉めたか 電気・ガスの元栓をしめたか 不安になる日が増えてきた。 3. 出勤前に「めがね」「かぎ」「定期券」「財布」などの日常品が行方不明になる(前日、何かのキッカケで普段と違う場所に置き)、慌てて探すことが多くなる。 4. 出勤電車で本が読めていたのに、爆睡し乗り越すことが多くなる。最初は帰宅時が多かったのですが、発症前は出勤時でも乗り越すことが多くなる。 5 .好きだった温泉より、土曜爆睡・日曜午後に分掌作業や学級事務を多くするようになった。 6. 出勤駅について 「風邪」「体調不良」を感じ 年休を取り 家に引き返すことが多くなった(出勤拒否??) 7. 反対ホームの東海道線の熱海行きにのれたらなぁとの気持ちが頻繁にでるようになった。 8. 管理職の何気ない一言が記憶に残り、眠れない日が多くなってきた。 9. 自殺報道に「気持ちは わかるけれど・・」の言葉が多くなった。 10.家族の入院などで 放課後の余裕がなくなった。 11.自殺報道への理解から 「死ねればラクだろうな」、という気持ちが強くなった。ホームや高い場所にいくことが怖くなってきた。 12.ゴミ処理や洗濯・掃除が 出来なくなった。 13.45分の授業で立っていることさえ辛い疲労感がでる。 などがかさなり ある3連休に「不眠・下痢・食欲なし」で 連休明けに年休を取り内科受診。 内科主治医の「精神科外来なら今すぐにでも見て貰えるけれど、精神科に抵抗がなければ 今すぐ紹介状を書くよ」 で精神科受診。 精神科医が 私が辛くて提出した「退職願」を 管理職に電話で取り消させ 休職宣言、そして窓口は主治医にして 本人との直接連絡はしない約束をさせ、3ヶ月の病休へ。 これが初発症「うつ患者」になった第一歩でした。 内科医と精神科医に恵まれて休職にはいりました。 その巡り会いがなかったら、今の私が存在していたか考えるとゾーッとします。 次回は 職場復帰の前後を報告したいです。 |
2010年01月15日
2級患者のうつ講座(2)症状の自覚
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