たいそうに「2級うつ患者講座」などと 2回書いた段階で 当時のつらさを思い出し しばらくはダメかな・・・・と思いました。
ただ初発症の時に主治医から言われた「自殺をしない約束」は、強烈に脳裏に残っています。
そして、うつ病休が主治医から宣告された時に 「うつ患者」になったときに感じた 心身の安心感は 今も覚えています。
それから1ヶ月は 週1の通院でしたが あんなにも眠れるものか、職場が気にならなくなるものか 自分でも不思議な感覚でした。
ただ、心身が連動しなく突然道で躓いたり、高い台に上るとふらつき落下などということが出始めました。
その後、校長から意味不明の手紙が送られ 動揺する時期が2ヶ月目に起こりましたが、主治医と市教育委員会学務課の支えと助言で校長の言葉足らずが判明してくるのですが・・・・。
今、それを客感的に記述するには シンドイので時系列を追うのは止めたいと思います。
ただいえることは 半端な知識での「善意の押しつけ」ほど 混乱するものはないことは学びました。
客観的な書類、前任者の励まし、市教委の見解文書をみせても「自分の非は認めない人」もいることに唖然としたのも事実です。
「正義や思いやり、善意」と思い込んでいる人ほど 人をキズつけることもあることも教訓として学んだということ・・・
所詮、今考えても「相性が悪かった」としかいえないのですが・・・
2010年01月17日
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