20日の「全国学力テスト」、抽出校だけでなく 希望参加も多かったとのこと。
学校の横並びの体質と保護者の漠然とした「学力不安」が 実施校を増やしたようです。
大器晩成とか「個人の才能を引き出す」とかいう言葉は、死語になったのかとさえ思います。
実施された「国語」「算数」で 学力を測れるものではないことは、日々子どもさんと接している方には 常識になっていることと思います。
しかも 大規模校と小規模校、分校などで 同一テストで しかも平均点で地域・学校の学力達成度をみるなんて 到底無意味なことになります。
大阪府の橋下知事のような 「学力の質」を個々に問う発想がなく テスト至上主義には開いた口が閉じません。
極端な例ですが、半数が100点で半数が0点でも平均は50点です。全員が50点以上をとる平均点と単純に比較できるものでしょうか・・・・・
算数・国語は苦手でも、理科が得意とか社会が得意、体育・音楽・図工が得意といろいろな才能を個々で伸ばしてあげるのが 「教育」だと思うのですが、国語・算数に特化する理由がわかりません。
第1回の全国学力テストの問題を 教員同士検討したことがあるのですが、B問題の応用については正答があるのだろうか・・・・、と疑問に思う問題も多かったのです。
日常の学習指導では 「学び知る」楽しみ、「出来る わかる」喜びを 子ども達に身につけようと現場では 悪戦苦闘しているのです。
今は 小中学校で、起こっている問題の一つに 家庭での早期教育のため集団としての授業に適応できない 知識のみ技能のみの頭でっかち(2年生で 学力差も解消されていくのですが)が 学級の秩序を守れないなどの弊害もでています。
今だに学習指導要領が 現場をしばっています。
私は、本当に必要な学力ならば、テストで比較するよりも 諸外国で導入されている「課程習得テスト」で「その学年の内容を理解している児童のみ」進級させる制度移行の方が 余程 理にかなっていると思います。
今の「年齢主義」の学年で いくら全国テストをしてみても 低学力層??の底上げにこそ予算をつけなければ、お馬鹿タレントのように「中学、高校」の基礎学力なしに卒業させられる悲劇が繰り替えされることになるのではと思います。
テレビのクイズ番組の「お馬鹿タレント」は、台本通りの演技で 教養があると信じたいのですが・・・。
2010年04月23日
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私の日記に、コメントをありがとうございます。
大人性のある、客観的なそして温かい
言葉をありがとうございます。
親身になって、コメントしてくれたことを
感じます。
本当にありがとうございます。
まずは、お礼まで。
返事がまだ書けなくて、ごめんなさいね。
物事、見ようによってはどのようにでも解釈できるものです。出来るだけプラスを見つけていきたいですね。お互いに!!
以前ある真面目な科学書に「ウルトラマン」は人類の味方か敵かとの論考が載りました。
怪獣を悪、ウルトラマンは善の前提は正しいのか、破壊されるビルなどの人的被害と物的被害は・・・と 楽しく読みました。
ロッキーさんの絵文字がない部分、不調なのかな・・と感じました。
程度問題ですが、「なんでも自分の都合良く考えてみよう」「悩んでも解決しない問題は悩まない」「出来ないことはムリしない」の精神です。明日も言われるであろう主治医の持論。