2010年05月06日

今日から仕事・・・、鬼門の5月

連休を支えてくれていた人達の「代休」がとれるのか ちょっぴり心配になります。

病気を持っていると 勝手なことに「病院も救急以外でも開いてほしいな・・」なんて 気持ちになります。

今年は何事もなく済んだ(法要1/5以外)のですが、父の「動脈解離」が 異動初年度の2/5という発症で、川崎という比較的環境に恵まれている所だったから 一命を取り留めました。

未だにその時のことは鮮明に覚えています。
背中に痛みが来てから 数日は 連日「通院を!!」といっていたのに、その日は 私の119に黙って従い 20時に救急隊到着。

幸い 救急救命士の指示で「血管・心臓外科」のある病院探し。
「社会保険病院」→「聖マリアンナ大付属病院」と適確な予備処置をしながら入院しました。

治療結果・検査結果がでるまでの3時間強の待ち時間後、鎮痛剤で眠っている父のストレッチャーのある治療室に呼ばれ、「動脈解離」との宣告。
大きな動脈瘤もあり いつ破裂してもおかしくないとの宣告。

問題点として腎機能低下のため(後に前立腺癌と判明)、動脈と腎治療では血圧コントロールに矛盾が生じるのですが、息子さんはどちらを選択しますか・・・・。どっちにしても「いつ亡くなってもおかしくない状態です」と言われ、私は腎機能優先のお願いをして帰宅。

もう午前1時過ぎでは バスも電車もない・・。
タクシーに持ち金をいい 足りますか?? と聞き帰宅。

その日から 携帯電話の常時ONの生活がはじまりました。

次の日から連日病院通いがはじまるのですが、お通じ・尿がでましたよと良い点の報告を看護師がしてくれた日々でした。

私の面会中でも 点滴や血圧・心電モニターを外す仕草が多くでたので聞いてみると 「実は・・・」と夜中自分で取り外し徘徊や罵声(父の名誉のために 普段は穏やかです)があるとのこと、私自ら拘束着装着をお願いしました。

母や妹・親戚から批難されましたが、頑固に落ち着くまで装着をさせました。
父のエピソードや母のエピソードだけでも山ほどあるのですが、小だぬき家には 5月が 不思議と病気の発症月になっています。

長い間、行方不明だった弟の防衛医大緊急搬送も5年前の連休明けでした。いまから考えると神業のような行動力でした。

国民保険がないと高額の治療費になるとの医大会計の助言で その日、異動届の出していなかった鶴見区役所での転居届、川崎の区役所への転入届・遠隔地国民保険証の取得などを1日でこなし 防衛医大会計に届けました。

最終赴任校では、家族の病気・私の心の病の進行とで 勤務と介助、手術立ち会いなど 退職をするべき時期だったんだよ。と導かれたような時期でした。

posted by 小だぬき at 09:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | うつ病について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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