2010年06月23日

今日は「沖縄慰霊の日」

実際の沖縄戦は、3月下旬〜9月上旬まで続くのですが・・・

今日は「地上戦」の残酷さと 本土の捨て石にされた意味、米国の基地、委託統治、本土返還・米軍の基地の占領維持など トータルに見る必要があると思います。

今日を「慰霊の日」としたのは、沖縄守備隊の牛島中将・長参謀長の自決により 日本軍の組織的抵抗が終わったとされる日だからです。
当時の32軍は、兵員の台湾や関東軍への移動で ゲリラ戦による長期持久の道の選択しかありませんでした。
沖縄守備軍自体が 本土から捨てられた存在だったのです。

当然、予想された米軍上陸に当たって、県民の疎開計画を大規模にすべきところを 対馬丸への魚雷攻撃など 制空・制海権を失っており 米軍上陸時には多数の住民が「軍と行動を一緒」にとることしか選択技を失っていました。

米軍艦艇や航空機による砲撃・爆撃による「鉄の暴風」、本土からの補給なしの中で 3ヶ月近く「軍機能」が維持されたことも驚異的ですが、鉄血勤皇隊(男子学生)・ひめゆりなどの看護隊などの悲劇は
軍の組織的抵抗終了後も続きました。

その中で軍の統制をなくし暴徒化した日本兵による ガマ(洞窟)への住民拒否、自決強要、自殺の悲劇が戦史に残りました。

菅首相が「慰霊の日」でどんなことを言うか、沖縄の人は まだかすかな「期待」の元、今日を迎えたと思います。

・村落の全員死亡地域が多数あり、未だに被害総数すら確定していない。
・学徒隊などが 最前線に配置され 軍の住民保護より持久戦優先の作戦指導。
・県庁、国の住民疎開の判断の遅れ

・陸海軍機の数あれば戦果というような 無謀な「特攻攻撃」
・大和等の艦船特攻。

歴史にifはないのですが、艦船の砲台化や松山航空隊や厚木航空隊の沖縄配備が 数ヶ月前であれば被害も違ったものになった可能性もあるのです。

戦史によると 一番マズイ軍の運用は「逐次投入」だそうです。効果的なのは全戦力の適時投入しかないそうです。
後のベトナム戦では 「沖縄戦の教訓」を真摯に学び、ゲリラ戦で長期持久を図り 正規軍はきちんと効果的に運用するという ホーチミン北ベトナム共産党が近代的戦力のアメリカ軍を敗北させました。

戦後の軍隊運用に多大の影響と小国の主権維持のテロ・ゲリラでの闘いは 沖縄戦の教訓から始まっています。

未だに学んでいないのが、日本政府・自衛隊であると思われるのは残念なことです。
以前も書きましたが、退避壕もない・高速道も臨時滑走路にする思想なし、ゲリラなどに対する交戦規程もない。

軍隊と住民の生命維持を 考える1日になって欲しいと思う小だぬきです。
posted by 小だぬき at 04:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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