勉強・学習は 本来は楽しいものです。
橋下府知事や石原都知事の「苦役を乗り越える」のが学習・勉強なのだと 主張する人達の「成長感」「学習感」が 多くの人に受け入れられている「不思議」を感じます。
お母さん・お父さんは 直感的に「楽しいんだろうな・・」と我が子の成長で わかっているのではと思います。
特に乳児・幼児の「学習能力」は、驚愕に価するほどです。
気持ち悪いとか、ミルクが欲しいとか 寝たいなどの感情表現は、うまれてすぐ発揮します。
パパ・ママの声がけに 内容はわからなくても 優しい感情を読み取り、微笑みます。
お父さん・お母さんの言葉かけで 物の名前などを急速に覚えていきます。
ハイハイや歩けるようになると、手で触ったり 口に入れたり、直接に自分で確かめる行動が始まります。
周りのことに興味を持ち、さわったり 動かしたり ママやパパのマネをしたがりたくなります。
言葉をいつのまにか覚え 単語で「ママ」→「パパ」から始まって 車や人、物の名前を覚えだします。
(微笑ましいのは、若いご夫婦のパパが何とか最初にパパと聞きたいと 連日パパを繰り返したものの やはり「ママ」に負けたという時期でもあります)
そして、興味が外の世界に広がり、買い物に連れて行っては 「商品を片っ端からさわる」行動が始まります。
その経験と ママの「パン」「おかし」「梨」「ミカン」「りんご」などのことばかけで 語彙が広がり、いい悪いのしつけが始まります。
次は 使い方が「わかる」と 自分で「やりたくなり」「出来たときの周りの賞賛」で 嬉しい、楽しい感情と表現がうまれます。
次の育児の面白さと困難は、「しりたがり」「わかりたがり」「やりたがり」の「なぜ??」の質問の時期です。
この時期を上手くのりきらないと 知的好奇心を維持できるか 萎ませてしまうかの分かれ目になります。
これは「知的障害を持った子」も「健常児」も 時期的なズレは生じますが、乳幼児期の子ども達の発達です。
論文ではないので、小学校・幼稚園・保育園段階は、次にまわしますが、
人間の成長の初めから「知る、解る、出来る、表現する」学習の面白さから スタートすることだけは確かです。
2010年10月27日
知る わかる 出来る 表現することは楽しい@
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話しかけた言葉の内容は理解出来なくても、
やさしさは感じますよね。
あと、目を見て話してあげる。
幼馴染でずっと仲良しだった子が、
誰の目も見ることが出来ない子でした。
今考えると、親が両方働いていて、
いつも一人でご飯を食べ、一人で遊ぶ子でした。
何でも買ってもらっていて、子供のころにはうらやましかったけど、
本当はさびしかったんだろうなぁ。
私の自慢は、未だに同僚の赤ちゃんを抱っこしても泣かせたことがない。電車で乗り合わせた子とすぐなかよくなれる点です。肝心の成人女性は苦手ですが・・(笑い)
今日、自分の寛解時期を考えた時、突然「乳児・幼児」のような「好奇心に立ち返えられれば」と思い文にしました。
一人っていうのは 大人でも寂しくなる時があります、ましては幼い子には「お金より抱っこの方」が
嬉しかっただろうに・・・。