2010年12月02日

中教審の現場知らず 教員免許

中教審が 大学院修士課程修了を 教員の「一般免許」とする考えを表明しました。
いかにも 現場を知らない学者先生の発想だと ため息です。

私立出の教員、短期大学出の教員、教育学部以外の学部生、修士課程まで進める資力のないものなどの排除の論理かと愕然とします。

私は 大学法学部在学中に 中学校と高等学校の「社会科免許」を収得しました。
教職課程を履修するだけでも大変なのに とくに教育実習で他学部から「実習先」にお願いするだけでも 現場に迷惑をかけているのが現状。

しかも 「免許=採用」ではなく、採用試験に通り 任用候補になっても 採用されるとは限らないのが 教員の世界です。
正規任用をギリギリにして、他の採用名簿登載者の多くは、6ヶ月更新の「臨時教員」として採用されている現実を無視しています。

私も 大学4年の時に「社会科教員」の採用試験に合格しましたが、採用は欠員待ちで 1年間欠員なしでした。
これは、今 猛烈なバッシングを受けている「公務員採用全般」の現状です。

幸い、私は 通信教育・スクーリングで小学校免許の単位をとりながら 採用試験に臨み 名簿に載りながらも 最後の1ヶ月の教育実習先探しに苦労しました。旧担任が教頭をしている学校にお願いして 2月に教育実習し 何とか滑り込みで免許修得。

私が 運が良かったのは 10倍以上の倍率のなか ユニークな発想を認めてくれた当時の面接官と男の採用に本腰を入れ始めた時期と一致していたお陰だと思います。
どうどうと「広域配転のおかしさ」や「公的夜間中学のなさ」を批判したのに 採用してくれたのは 今では奇跡に近いでしょう。

今回の中教審の「大学修士課程修了」者を「一般免許」、その他を期限付き「基礎免許」にし現場に入ってから「一般免許」への移行を義務づける、しかも 免許更新制は残す、では 現場は 機能不全に陥ります。

教育学部を出て 教育の修士課程に進める経済的余裕がなければならないし、採用試験での配慮がなければ どれだけの人が大学院に進学できるでしょうか・・・・。

ましてや「期限付き基礎免許」で採用し、現場で働きながら「一般免許」を修得するなんて 今の多忙さの中 現実を無視しています。
教育委員会の公的研修が 免許単位に変換できなければ、一般免許講習を受ける余裕などありません。

現場で必要なのは、「学者」ではなく「教員」なのです。
これは、職場の環境や経験でしか 身につかないものも多くあるのです。

とくに 今の父母の皆さんのクレームや要求の多さ・少数の?理不尽さも見られる今では、より一層の門戸開放で多彩な経験と個性がなければ 学校が組織として機能しなくなりつつあるのです。

今、報道されている「給食費未納」も 私の経験では、貧しくて払えないのではなく 「公教育は無料にすべきだ」との論理で資産のある方が意図的・確信的に「未納」する場合が 少なからずあるのです。

2世代3世代前の管理職は、現場の責任はオレがとる 思い切って知恵を出し 実戦して欲しい、というタイプが多く、教員も管理職の目標は高くても ある種 尊敬して 激務にも耐えられました。

でも、今の現場の多くの管理職は 事務におわれ、出張も多いためか 現場の困難さを共有し解決をはかることや責任はオレが持つという気概も失っているように思えるのは とっても残念なことです。 

「免許」制度を 現場を知らない 学者が「無責任」な提言をしているとしか思えないのです。

今、全国的に教員の不祥事が報道されていますが、初めから「猥褻指向」の教員は論外としても  赴任時に理想に燃えて現場に赴任したであろう 中堅・ベテランの不祥事は、「免許」の問題ではなく、勤務・業務の視点から見直す問題があると思うのです。

多くの教員は 自分の子どもに「自分の子より 担任や学校の子の方が大事なんだ!!」と批難されるような 状態で勤務しているのに 世論の冷たさは目を覆うばかりです。
改善されつつある現場でも 我が子の入学式・卒業式・運動会・PTAなどに 参加できない、しずらい勤務を強いられているのが 今の教員です。

中教審が まずすべきは、教員の「初志」を貫けるような 勤務の在り方の改善であるべきと思います。
そして ゆくゆくは、現場と行政、学者、父母の方々が 「現実」で 協力しあえる態勢を組めなければ 今の教育の問題は前進しないと考えています

義家参議院議員のように「日教組批判」しているだけでは、より子ども達が不幸になると思います。

見方を変えれば「日教組・全教」という組合がありながら 現場の声を 行政に届けきっていない、何のための組合か という論の方が正しいように感じるのです。

肝心の学校に学ぶ子ども達の視点にたった 教育改善でなければ意味がないのです。
教員も人間ですから 何でもかんでも超人的なことを要求するより、「人間性」を高めるための「研修」のあり方を検討すべきと思います。

小規模校の業務量と大規模校の業務・出張・官制研修は 量的には変わりません。
小規模校の負担を軽減していかないかぎり 教育破綻は目に見えています。
posted by 小だぬき at 10:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます。
旅のお疲れは、とれましたか?
また、次の旅を楽しみに日々を生活したいですね。

学校の先生の質をあげるために
国も四苦八苦しているということでしょうか?

子どもたちと共に成長できる喜びを感じながら
というのは、理想だけなのでしょうかね。

私が感じることは
生きる勇気を与えてもらえると
喜んで、人は成長していけるように感じます。
Posted by ロッキー at 2010年12月03日 10:31
ロッキーさん、ありがとうございます。

政府・行政の失策を「教員の質」にすり替えているものと思います。
現職の教員達は 必要な単位と免許、採用試験をへているのです。行政の採用した問題と日々の現場の実態に合わない行政の介入、仕事量の多さを見直さないと 学校の機能不全の状況は変わりません。
どんな仕事でも「プロがプロとして活動する場の保障」なくしては プロは育ちません。
その当たり前のようなことが 教育では軽視されているのが問題だと思います。
Posted by 小だぬき at 2010年12月03日 13:15
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