2012年01月04日

成功者 地方の「5時半帰宅サラリーマン」は幸せと香山リカ氏

成功者 
地方の「5時半帰宅サラリーマン」は幸せと香山リカ氏


2012.01.03 16:00  NEWSポストセブン

最近、自分を追い詰めている人が多い。
「もっと頑張らないといけない」「もっと成長しなくては」、と。

だが、精神科医で立教大学教授の香山リカさんは、頑張り過ぎずにほどほどに生きる「ほどほど論」を提唱する。香山さんに聞く「ほどほど論」の最終回をお届けする。(聞き手=ノンフィクションライター・神田憲行)

* * *
香山:最近思うのですが、日本人の「人生の成功モデル」が貧弱すぎる。


――というと?


香山:大きな収入を得ることしかない。

私の診察室には、経済的に成功を収めても家庭が崩壊し、「こんなことなら平凡な人生の方が良かった」とため息つく人が少なからず来ますよ。


この間ラジオ番組を製作している人と話をしたんですが、その番組は夕方の5時半に流れるんだそうです。「主なリスナーは主婦ですか」と訊ねると、「いえ地方では5時に仕事を終えて5時半には帰宅しているビジネスマンの男性も多いんですよ」とおっしやっていました。


東京で働くビジネスマンより、家族と過ごす時間が一日で5時間も6時間も多いのではないでしょうか。

もちろん5時半に帰宅できる人にも悩みはあるでしょう。でもそれでそこそこの安定した生活が送れるなら、それも「成功」と考えて良しとすべきではないでしょうか。


――価値観の多様性ですね。


香山:そう。いま企業では「ダイバーシティ(多様性)」が盛んに唱えられて、働く人の男女、国籍、年齢層の幅を広げる動きが出ています。多様性を確保することで企業に活力を与えようとするものです。

しかし実態を見てみると、極端な成果主義で縛り付けているケースも多い。働く人を多様化しても、評価する基準がひとつだけだと何の意味もない。


産業医の方に聞くと、優秀な企業になると「部下の面倒見だけが良い上司」とか「底抜けに明るいだけが取り柄の社員」という人たちが必ず確保されているそうです。

会社が成績だけで社員を判断しない。そういう会社だと鬱病を発症しても、休業したあと無事にまた会社に戻って仕事が出来る。


活力ある企業とは本来こうあるべきではないでしょうか。求められるのは「人のダイバーシティ」だけでなく、「価値観のダイバーシティ」です。


――香山さんの「人生をほどほどに生きていく」というほどほど論も、人生の価値観を多様化することですね。


香山:ある本で80代の方が、「ここまで生きてきて振りかえると、良い人生も悪い人生もなく、目の前にあるのは普通の人生だ」と書かれていました。

私にはその言葉が、「人生を全力で生き抜け」とかいうスローガンより、リアルに響いたんですよ。


人を羨んだり、羨ましがれたこともあるでしょうが、ならせばどの人の人生もそうは変わらないんですよ(笑)。

みんな変わりなく、普通の範囲内で収まる人生でいいじゃないですか。(了)

posted by 小だぬき at 10:26| Comment(8) | TrackBack(0) | うつ病について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「ほどほど」は一見良さそうに感じるが、現実はそうはいかないのです。その結果が私たち患者です。その患者ないし患者予備軍をして、「人生の成功モデルが貧弱」とは高みからモノを言う香山氏ならではの言ですね。
しかしたしかに私が解雇された会社も、CEOがさかんに「ダイバーシティ」と言ってましたよ。でも実際、経営陣の腰巾着になる者だけが優遇されてましたね。
本当に多様性が求められるなら「全力で働く」ことも、同様に認められてしかるべきと思います。
Posted by 歩三の安藤大尉 at 2012年01月05日 21:23
歩三の安藤大尉の怒りは理解できます。が、人生のスタートが不平等からスタートするのが我が日本。日本の国や日本人が大切にしたいのが 豊かな個を土台にした連帯です。
会社、官庁、政治家の思考硬直の失敗を 労働者や国民に責任転嫁されているのです。
私は 今回の香山氏の連載は、自分を見つめ出来るところから努力して ほどほどの生活も保障されないのではおかしいと読みました。今までの断定調から問いかけに変わっただけでも 香山氏の転向途中と見たいと思います。
Posted by 小だぬき at 2012年01月05日 21:58
え?別に「怒り」はしてませんよ。勿論、クビにした会社に「恨み」はありますが。
「人生のスタートが不平等からスタートするのが日本」というのは理解できません。平等にスタートできる国ってどこですか?
「豊かな個」だったら、貧しくても精神的な「豊かさ」、富んでいれば布施できる精神の「豊かさ」がある。弱い人が居れば強い人もいる。王様もいれば乞食も「要る」。なので
「連帯」する必要はない訳ですよ。「努力してほどほどの生活もできない」というのは「地方で5時半に帰宅」することとは全く論点が異なりますね。
Posted by 歩三の安藤大尉 at 2012年01月06日 11:37
叱られましたね。私は機会の平等は保障すべきと考えていますし、現状では 私のようなうつ患者を含めて 課題ごとに連帯し 世の中を変えていくしかないと思っています。
地方で早く帰宅できるのに 都会ではなぜ??
どっちが 人間らしい生活かは いつでも考えていかなくてはと思います。
ほどほどの生活も その人の価値観によると思いますが、機会の平等だけは持てる国にしたいとは切に思っています。
Posted by 小だぬき at 2012年01月06日 12:33
え?では「人生のスタートが不平等からスタートするのが日本」というのは、「日本には機会の平等がない」という意味だったのですか!逆に言うと「須らく人生は同じスタートでなければならない」「萬民に平等は与えられなければならない」ということですね?
しかし、残念ながら、それはおとぎの国でしか、あり得ないことは小だぬきさんであれば、容易に理解できるでしょう。
同じように、5時半に帰れるのが「人間的幸せ」であるか否かは、個々人の価値観に依るものであり、それを以て幸福のバロメーターにはならないものと言えましょう。
それから、「ほどほどの生活も保障されない」とありますが、日本はこれでも限りなく「格差」とやらは小さいです。北一輝の「日本改造法案大綱」は、ほぼ達成されていると思います。上を見ればきりがありませんが。
更に付け加えると、現代日本の政治家が悪いという事には、賛成です。では、いかにあるべきか?議会制民主主義などは、捨ててしまうことです。それによって、小だぬきさんの仰る「連帯」による国民政治が実現するものと考えます。
Posted by 歩三の安藤大尉 at 2012年01月06日 20:09
歩三の安藤大尉さん、ありがとうございます。おっしゃることは 大筋で合意できるのですが・・・。何か方向性がちがうような気がするのです。
私は 天皇制を維持した上での 自由・独立と 義務・権利を政治体制として明確化したいのです。経済的には創生期のソニーなどのように「本当に必要されているものを売る」「従業員が幸せにならなければ 消費者に良い製品を届けられない」という原点に立ち返らない限り 日本の再生はないと思っています。大きいことはいいことだ ということが幻想だと思っています。
機会平等というのは 出自・経済に関わらず
努力を正当に評価する社会にしたいとの
思いです。
重たい宿題として 少し猶予をください。
Posted by 小だぬき at 2012年01月07日 08:17
私は国内外で十数回の転勤を経験しました。といっても半分は都内ですが。確かに地方では5時半には家に帰っていましたね。でも私のようなシティボーイ?は都会の方が嬉しかったなあ。毎夜六本木や赤坂に遊びに行けて。人様々ですね。
 また、人間は生まれた瞬間(その前から?)から不平等ですよね。顔つきや体つきが個々人が違うように頭の構造も違う。いくら機会が均等といってもしょせんできない人は出来ない。なまじ機会が平等であれば結果が出せなのは自己責任となってかえって苦しいかもしれません。
Posted by arakann at 2012年01月07日 17:16
arakannさん ありがとうございます。

なまじ機会が平等であれば結果が出せなのは自己責任となってかえって苦しいかもしれません。

確かに そうですね。でも 挑戦して負けるのなら 違うものででも再チャレンジできる元気は残るように思うのです。
何か「哲学」のような迷路に入りそうです。

私自信は 考えるスタートにしたい問題のような気がします。

これからもよろしくご意見をください。
Posted by 小だぬき at 2012年01月07日 19:05
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック