2012年01月20日

日々「まあまあ」で過ごせていますか

診療場の窓辺から
日々「まあまあ」で過ごせていますか
2011年12月1日 asahi.com   小笠原 望

 「土佐は山の国」であると同時に「土佐は酒の国」でもある。

ぼくの住む四万十市中村には、宴会に中村方式がある。


 それは来た人から勝手に飲み食いを始めてもかまわないという、酒飲みの論理そのもの。

結婚披露宴では、てんで勝手に飲んで開会のときにはすっかりできあがっている人がいるのには、初めての人はびっくりの顔をする。


 ぼくはこの方式をすっかり気にいって、どこででも主賓がまだ来なくても、「中村方式でやりましょう」と、さっさとその場にいる人だけで乾杯して宴(うたげ)を始める。そして、誰かが来たらまた乾杯を繰り返す。


 酒好きの土地柄を強調する話に、土佐の少々は二升という話がある。「お酒はどうですか」「少々は飲みます」「少々ですか」「はい、升升で二升です」という話。これに似た話は診察室でもしばしばある。


 「お酒は?」「ビールを四缶です」「毎日ですか」「はい、三百六十五日欠かしません」「三百五十(ミリリットル)ですか」「いいえ五百です」「それだけですか」「そのあと、焼酎をロックで三杯」「これを毎日ですか」「友達と外で飲むときはとことん、量はわかりません」


 酒好きのぼくでも、のけぞるような酒の話が診察室では珍しくない。自分が酒飲みだから、酒の話には強い言葉はでない。


 「まあまあにしてよ」と、にやっとしながら話を終わる。酒飲みはいい人が多い。ただ、適度な飲酒を目指しても何度も問題を繰り返す。


 まあまあで酒を飲めない人がいるように、ついついいつも頑張りすぎるこころがある。

必死の頑張りを聞くと、ふにゃふにゃのぼくはすごいと思う気持ちと、そこまでしなくてもの両方の気持ちになる。


 歯を食いしばって介護を頑張っている人には、「まあまあでやっても、人間は死なないから」と、医者にはあるまじき言葉を口にする。

責任感だけでよれよれで仕事を頑張る人には、「会社はあなたでなくてもいいんです。そんなに自分じゃないとなんて思わなくてもいいですよ」と、ぼくは繰り返し緩めることをお勧めする。頑張るこころはぽきんと折れる。


 「仕事に全部のエネルギーを使わないように。家庭に少なくても三十パーセントは持って帰りましょうよ」の話もする。

エネルギーがないと優しくはなれない

白衣の天使が家では柔らかな言葉がでないことがある。学校の先生も疲れている。


 共働きの多いぼくの住む地域では、お父さんはよれよれ、お母さんもくたくたのなかで育つ子どもたちは大変ではないだろうか。

疲れると言葉がとがってくる。わたしのことで精一杯になって、相手のこころの動きに鈍感になる。 


 いろいろなこころを見ながら、ぼくは鍛えられてきた。

「わたしは無理に頑張っていないか。まあまあでやれているか」を、時々は立ち止まって確認することが大切ではないだろうか。


 四万十川は、これがまあと思うほどの川幅いっぱいの濁流になることがある。一方で、最近は落ち鮎(あゆ)が下流にまで泳ぎつかないほどに枯れることもある。


 赤鉄橋を渡りながら、まあまあの水量の四万十川を見るとほっとする。ひとのこころも、またしかり。
(朝日新聞発行の小冊子「スタイルアサヒ」2011年12月号掲載)

posted by 小だぬき at 16:01| Comment(0) | TrackBack(0) | うつ病について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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