長年の現場の悩みを 大阪市長の橋下氏が「小・中学校でも落第を」と問題提起してくれました。
この問題を考える時、大切な視点は 学力不十分で義務教育を終えてしまうと 再チャレンジの機会を失うことです。
人間って不思議で「学びたい」「知りたい」という気持ちと 学齢の学年が一致しない時が多いのです。
テストで低空飛行で進級しても 友達関係や恋、ある問題が解けたことで 飛躍的に学力向上をすることも多いのです。
現場では「楽しい授業」「出来るわかる授業」などの工夫で 全員に「学齢の学力」をつけようと努力するのですが、成育歴や学習習慣などで困難な子がいるのは事実です。
中学校に進んでから 小学校に来校して「先生 算数をもう一度教えて」などといえる子は わかった・できると瞳を輝かす瞬間があるのです。
ある子は、中学から調理専門学校にいき 初めての賃金で 「先生がお世話になっています」と大量の饅頭の差し入れが 在任校にされた時など 教員としての喜びを感じた瞬間でした。
教員として 気にかかる、苦労した子が 成長をしている姿ほど 仕事を超えた生きがい、やりがいを持てるのです。
反面、基礎学力不足から 万引きなどの犯罪や荒れる高校生、数学が苦手な理工科生などの問題も生じるのです。
じゃーどうするで 「学齢か学力か」で現場は悩むのです。大器晩成などとおおらかに子供の成長を見つめられた時代では、学齢で不十分な子供でも きっかけさえあれば 好きになれれば 学力は取り返すことができるということがありました。
問題は、学力でなく学齢で卒業証書を得たために 再チャレンジを決意して「夜間中学」に入学したい、小学校に科目で籍を置きたいとおもっても 学齢以外の門戸は閉ざされてしまうのです。
この点の学齢主義での「学校」の閉鎖性を 打破して行く必要は感じます。
では「学力で落第」は 子供の成長のサイクルで どの時点で 劣等感を最小にして実施できるかの研究が大切です。
卒業認定時に置くのか、低中高学年のサイクルでするのか 毎年か・・・・・、で せっかく「子供たちに学力を身につけさせたい」という善意が へたすると「学力不足=人間失格」の自己の劣等感、他人の差別感につながりかねない恐れもあるのです。
ブラックジョークではありませんが、筆記式テストで学力が図れるのかという問題です。
よく考える子ほど 文章題が苦手ということもあるのです。
以前書いた 「時計の 何分前、何分後」とか 速度計算なども信号は渋滞は・・・などと思う子もいるのです。
「道のり、距離」などもそうです。
皆さんの学校時代にも 「あの子は 運動会で輝く」「文化祭で輝く」「読書量はすごい」「ベーゴマ博士」「恐竜博士」「ポケモン博士」「ガンダム博士」など 個々に輝く子がいたはずです。
劣等感をいだかせず その子の個性を伸ばした上 学力もつける、これをどのように保障していくかを 真剣に考えていきたいものです。
2012年02月23日
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