2012年03月12日

いまなお「あの」ではなく「この」震災であることが悔しく、恥ずかしい

3月11日付 編集手帳
2012年3月11日01時12分 読売新聞

使い慣れた言い回しにも嘘(うそ)がある。時は流れる、という。流れない「時」もある。雪のように降り積もる

◆〈時計の針が前にすすむと「時間」になります/後にすすむと「思い出」になります〉。寺山修司は『思い出の歴史』と題する詩にそう書いたが、この1年は詩人の定義にあてはまらない異形の歳月であったろう。津波に肉親を奪われ、放射線に故郷を追われた人にとって、震災が思い出に変わることは金輪際あり得ない。
復興の遅々たる歩みを思えば、針は前にも進んでいない。いまも午後2時46分を指して、時計は止まったままである

◆死者・不明者は約2万人…と書きかけて、ためらう。命に「約」や端数があるはずもない。
人の命を量では語るまいと、メディアは犠牲者と家族の人生にさまざまな光をあててきた。本紙の読者はその幼女を知っている。

〈ままへ。いきてるといいね おげんきですか〉。行方不明の母に手紙を書いた岩手県宮古市の4歳児、昆愛海(こんまなみ)ちゃんもいまは5歳、5月には学齢の6歳になる。漢字を学び、自分の名前の中で「母」が見守ってくれていることに気づく日も遠くないだろう。成長の年輪を一つ刻むだけの時間を費やしながら、いまなお「あの」ではなく「この」震災であることが悔しく、恥ずかしい

◆口にするのも文字にするのも、気の滅入(めい)る言葉がある。「絆」である。

その心は尊くとも、昔の流行歌ではないが、言葉にすれば嘘に染まる…(『ダンシング・オールナイト』)。宮城県石巻市には、市が自力で処理できる106年分のがれきが積まれている。
すべての都道府県で少しずつ引き受ける総力戦以外には解決の手だてがないものを、「汚染の危険がゼロではないのだから」という受け入れ側の拒否反応もあって、がれきの処理は進んでいない。

羞恥心を覚えることなく「絆」を語るには、相当に丈夫な神経が要る

◆人は優しくなったか。賢くなったか。1年という時間が発する問いは二つだろう。

政権与党内では「造反カードの切りどきは…」といった政略談議が音量を増している。予算の財源を手当てする法案には成立のめどが立っていない。

肝心かなめの立法府が違法状態の“脱法府”に転じたと聞くに及んでは、悪い夢をみているようでもある。
総じて神経の丈夫な人々の暮らす永田町にしても、歳月の問いに「はい」と胸を張って答えられる人は少数だろう

◆雪下ろしをしないと屋根がもたないように、降り積もった時間の“時下ろし”をしなければ日本という国がもたない。

ひたすら被災地のことだけを考えて、ほかのすべてが脳裏から消えた1年前のあの夜に、一人ひとりが立ち返る以外、時計の針を前に進めるすべはあるまい。この1年に流した一生分の涙をぬぐうのに疲れて、スコップを握る手は重くとも。
posted by 小だぬき at 09:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
読ませて頂き、胸が詰まります。
You Tubeで見た「絆ってなによ?」という
お若い女性の声が残っています。
多少は期待した若手国会議員さん達
でしたが、全くの期待はずれでした。
Posted by ばば at 2012年03月13日 08:54
読売新聞は 基本的に裏読みする習慣がついているのですが、編集室などコラムにまだ記者の良心が残っているのが救いです。
絆っていう言葉を使う人ほど 何もしていないことが明らかになった1年でした。
あくまでも 言動の結果の「絆」であって欲しいと思います。
主権者である一人ひとりが 出来ることを積み上げていくしかないですね。
民主党の船山康江議員に一筋の光明を感じます。
Posted by 小だぬき at 2012年03月13日 12:10
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