2012年03月28日

香山リカのココロの万華鏡:「悲しみの家」があれば

香山リカのココロの万華鏡:「悲しみの家」があれば

毎日新聞 2012年3月27日 東京地方版

「自殺対策支援センター ライフリンク」というNPO法人がある。その代表である清水康之さんとシンポジウムで同席したのだが、その話が衝撃的だった。


 清水さんたちは大震災で家族を失った方たちの電話相談にも応じているのだが、その内容が1年前もいまもほとんど変わらないのだという。


「時計が止まったまま」「あの日から一歩も前に進めていない」という言葉もよく聞くが、ちょっと考えてみれば、それはあたりまえの話だ。 

遺族たちの言葉、それは「どうしてよいのかわかりません」。途方に暮れ、立ち直りのためにどこから手をつけてよいのかわからない状況が、ずっと続いているということだ。


 驚きを感じると同時に、「そうかもしれないな」という気もした。大切な人を失って、1年やそこらで元気になれ、というほうが無理だ。


 大震災で家族を失った人ばかりではない。

私たちの人生には、想像もしていなかったつらいできごと、病気、大きな失敗などがいくらでも待ち受けている。

それらを経験しても「負けるな」「乗り越えろ」と言われるが、それには時間がかかる。半年、1年、あるいはもっと長い時間、何も手につかずぼーっとしてすごし、「ああ、春が来たな」と季節の変化に気づくようになるまでに何年もかかる、という場合もある。


 診察室にいていつも疑問に思うのは、「本当につらい時期は短いほうがいいのか」ということだ。

ショックなできごとがあって落ち込んでいる人に、私たち精神科医は判で押したように言う。「たいへんでしたね。でも、このお薬を飲むとつらさが少しやわらいで、元気になるまでの時間も短縮されると思いますよ」。

それはウソではないのだが、そう言って抗うつ剤などを出しながら、「この人にとって必要なのは、十分な時間をかけてゆっくりと悲しむことなのではないか」とも思ってしまうのだ。


 ただ、現代の社会は悲しみやつらさにゆっくり時間をかけることを許さない。「大切なものを失ったので、半年ほど会社を休みます」と言ったら、すぐに退職を勧められるか、「病院に行って何とかしてもらえ」と命じられるだろう。


 悲しい人が、仕事や家事から離れて、ゆっくり時間をかけて悲しめるような場所。

そんな「悲しみの家」を作れたらいいのにな、などとときどき考える。
今のところは、ライフリンクが行っているような電話相談が、その「悲しみの家」の役割を果たしているのかもしれない。

posted by 小だぬき at 09:10| Comment(0) | TrackBack(0) | うつ病について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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