2012年04月21日

新しい希望、またひとつ=鎌田實

さあこれからだ:/新しい希望、またひとつ=鎌田實
毎日新聞 2012年04月21日 東京朝刊

 2011年3月16日未明、ようやく電話がつながった。


「遠藤先生、生きてるかー。カマタでーす」

 震災直後から、ぼくは福島県南相馬市立小高病院の遠藤清次院長に、ずっと電話をかけ続けていた。


 遠藤先生は、ぼくが応援団長をしている宮城県にある障害者支援施設「虹の園」のミニ講演会と、南相馬での講演会に来てくれた。

2回会っただけ。病院のスタッフとのミーティングで、ぼくの本に書かれている、あたたかな地域医療のことをよく話している、と聞いた。


 自分でも不思議なのだ。特に親しい付き合いをしていたわけでもなかったが、大震災、そして原発事故のニュースが報じられるなかで、遠藤先生や小高病院のことが、気になってしかたなかった。


 「生きててよかった」


 ぼくがそう言うと、遠藤先生はこう言った。「それどころではありません」

 薬がない。医療用酸素がない。ガソリンがない。病院の自家発電機を動かしている重油がない。
 「暖房もとまりそうです。大変です」
切羽詰まった声だった。


 話を聞くと、震災発生からの5日間はすさまじいものだった。

当時、小高病院には68人の入院患者がいて、半数が寝たきり、3人が人工呼吸器につながっていた。

津波は、病院の100メートル手前まで迫っていたが、なんとか難を逃れた。
そこへ、津波で家を流された小高地区の人たちが避難してきた。遠藤先生を含む3人の医師たちは必死だった。

 福島第1原発の冷却装置が停止し、1号機の爆発に次いで、3号機、4号機の水素爆発が発生。その間、避難指示エリアは11日に3キロ、12日に10キロ、20キロへと広がっていった。


 小高病院は原発から18キロの地点にある。
遠藤先生はスタッフ30人を集めて、最後の一人の患者を安全に避難させるまで、われわれは守り続ける、と宣言する。


 スタッフは、入院患者や避難者を20キロ圏の外へ誘導、避難させることに全力を注いだ。
原発から23キロ地点の南相馬市立総合病院へ無事に避難したが、15日、20〜30キロ圏内に屋内退避の指示が出される。

見えない放射線の不安により必要な物資が滞り、南相馬市立総合病院は孤立を余儀なくされることになった。ぼくの携帯がつながったのは、そんな状態のときだった。


 この電話をきっかけに、南相馬市の桜井勝延市長が長野県茅野市長と諏訪中央病院院長に救援を要請。

30キロ圏内に入る初の医療班として、諏訪中央病院の医師、看護師たち31人が交代で南相馬に入り、長期的な支援を開始する。
たまたまつながった電話が、強い結びつきを生んだ。縁とは不思議なものだと思う。


 もう一つ不思議な縁があった。2008年、小高病院は常勤医が6人から3人になり、存続のピンチを迎えていた。
南相馬市には市立総合病院という大病院がある。小さな小高病院は廃院になるというウワサが広がっていた。

 そんななか、小高地区の住民であり、遠藤先生の患者、横山邦彦夫妻と住民が立ち上がる。
「自分たちの地域の病院を守りたい」「高度医療は市立総合病院に任せ、小高病院にはあたたかな在宅医療や、老人医療をしてもらいたい」


 そんな訴えのもとに、約1万人の署名が集まった。住民の動きに動かされ、南相馬市立病院改革プラン策定委員会は小高病院の存続を決定した。

2011年3月3日のことである。喜びにひたった8日後、なんと大津波がおそった。


 住民が守った小高病院は、20キロ圏内に退避指示が出されたため、一時閉院が決まった。
遠藤先生は、医師不足が深刻な福島県猪苗代町立猪苗代病院に移った。


 ところが、である。昨年秋、ぼくは遠藤先生からこんな話を聞かされた。

かつて小高病院の存続に奔走した横山夫妻と住民から、戻ってきてほしいと言われているというのだ。

 小高地区の住民は多くが津波で家を流され、主に鹿島地区の仮設住宅に集まっていた。
仮設住宅の人口は増えていくのに対して、医師の数は減少。相双地区では医師の数は、震災前と比べて半減している。


 「かつて病院を守ってくれた地域の人たちに、恩返しをしたい。仮設商店街の一角に診療所をつくり、もう一度、あたたかな地域医療をやりたい」

 遠藤先生の話に感動した。

仮設の診療所は2、3年しか使えない。なのに内装や超音波、心電図などの機器を含めると、約2000万円の多額の負担が先生にのしかかる。
それでも、彼の意思は固かった。


 ぼくは、診療所の看板を筆で書くことになった。カマタの似顔絵ののぼり旗もでき、カマタが診療所で健康教室を開くときには、そののぼり旗が診療所の入り口ではためく。
カマタ流の応援だ。


 あの電話以降、ぼく自身、何度も南相馬に通ううち、ごはんを食べていけ、泊まっていけと声をかけられるようになった。

親戚づきあいのようなつながりができてきた。縁は不思議だ。


 新しい診療所の名前は、なんと「絆診療所」。遠藤先生が名づけた。
たくさんのあたたかな縁が結ばれた結果だ。
その名の通り、地域にしっかりと根をひろげる診療所が5月1日、オープンする。


 絶望の中に、またひとつ、新しい希望がはじまる。(医師・作家、題字も)

posted by 小だぬき at 09:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめはしてアンマと申します
こちらの記事をTrackBackさせていただければと思います
fc2を使っていますので、記事内にURLを掲載させていただきました。
Posted by アンマ at 2012年04月23日 03:59
アンマさん ありがとうございます。
この記事連載は 好きでコピーをさせて頂いています。
著作権は、出典明示でクリアーしています。
これからもよろしくお願いいたします。
Posted by 小だぬき at 2012年04月23日 08:55
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