物忘れとの闘い=近藤勝重
毎日新聞 2012年08月24日 14時05分
この時期、友人らに会うと、「盆休み、どうだった」という話になる。
祖母の里の静岡に帰省したという友人の話には笑った。
帰り際、運転席に座って忘れ物はないか、助手席や後ろに乗っている家族に声をかけて走り出したところ、誰かが「おばあちゃんがいない」と言いだした。
急いで引き返すと、おばあちゃんは隣近所に「お世話になりました」とあいさつして回っていたそうだ。
「おばあちゃんに『大きな忘れ物したね』って皮肉を言われたよ」。
友人は苦笑しつつ、「忘れ物もよくするけど、年々、物忘れもひどくなる一方で」と話を続けた。
聞けば、
▽朝、顔を洗ったかどうか思い出せない
▽風呂に入って体を洗い、湯船につかってぼーっとしていると、体を洗ったかどうか気になり、また洗う
▽冷蔵庫を開けて、何で開けたのかわからず立ち尽くす
▽クスリを飲んだかどうか覚えていない−−といったことがあるそうだ。
なるほど、かなりの物忘れだが、クスリの話は人ごとではない。
クスリを飲んだ、飲んでいないは、つい今しがたのことなのに、確かに思い出せない時がある。
ぼくが飲むクスリは気管支の炎症を防ぐ抗生物質で、2錠続けて飲むのは医師に厳禁されている。
それで何とか思い出そうと、朝刊を読んでからパンとサラダの朝食を取り、コーヒーをいれ、そのあとは冷蔵庫からヨーグルトを出して……と30分ほど前に時間を戻す。
そうしてひとコマひとコマを思い浮かべるのだが、肝心のクスリのところで記憶はあいまいにぼやけてしまう。
友人は、その対策として1日に飲むクスリを小さい箱に入れてチェックし始めたそうだ。
飲んだかどうかを確認する上では、いいアイデアだが、同じようにしてみようとは思わない。
一つには記憶をたどってもがくところに、何か自分との闘いに似た感を覚えるからだ。
かつそれで思い出せれば、その快感はちょっとしたもので、まだ脳は大丈夫だ、と妙に自信がついたりもするのだった。
とはいえ、どうあがいても思い出せない日が、やがてやって来るだろう。
その時はどうするか。ふと思い出したのはある医師の一言だ。
クスリどころか病気も忘れてしまう−−いいなあ、これ。(専門編集委員)


>「病気を治すには病気にとらわれず、忘れることです」
最後のオチが良いですね(笑)。
私も 自分のことを言われているようで紹介しました。記事を読んで 俺だけじゃないんだと ちょっぴり安心です。
このオチで生活出来ればステキですが、こと鬱では 自覚していないと金銭感覚や死の概念にとらえられる恐れがあるので 難しい所です。