2012年09月28日

「生きてください」、いじめからあなたを守りたい 

下記の記事を読む前に 私がファンになっている 富山県で 紙バンドアトムの善田希さんの 体験をお読み下さい。
前向きに 「紙バンド」を広げたいと 明るく活躍する姿の過去に 陰湿で残酷なイジメられ体験があったことを知りました。
子供というより 人間って こうも残酷になれるのかと 悲しみがわきました。

「生きてください」
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いじめからあなたを守りたい 乗り越えた親子
2012年9月28日    東京新聞

無視され、お弁当を一人で食べ続けた。
横浜市の通信制高校二年生小沢優希さん(16)=川崎市宮前区。
中学一年の時のいじめが原因で、二年以上不登校。
「性格を変えるから、仲良くして」と、泣いてすがったこともあった。
でも今は思う。「私らしさを誇って生きよう」


 二〇〇八年四月、地元の公立中学に進み女子ソフトテニス部に入部。
人懐っこく、先輩にも気に入られた。男友達が多く、目立つ存在。はっきり意見をいうタイプだった。
それが、ある同級生の女子部員に嫌われた理由。
「うざくない?」。入部直後から陰口を言われていたらしい。でも表面上は仲良しだった。


 部員同士で手紙交換をしていた。ある日、部員の一人がささやいた。
「優希の手紙、破って燃やされたんだよ」。夏休み前から仲間外れにされるようになった。二人組の練習では必ず一人残った。


 二学期に入ると、部のいじめがクラスに飛び火した。無視された。女子同士で目配せ。「その同級生は二学期になってクラスで存在感を示し始めた。皆、嫌われたくなくて同調したんだと思う」

 「小沢ってバカじゃねーの」。仲が良かった男子も、大きな声で言いながら机を離した。お昼は三カ月近く一人で食べ続けた。
嫌でたまらなかった。できるだけ早く食べ終わりたい−。母親の早苗さん(46)に「お弁当箱を小さくして」と頼んだ。食欲もなく、残すようになった。


 十月ごろだった。いじめを察した母親に促されて、その同級生に泣きながら電話した。
「私、変わるから仲良くして」と。母親は、思わず受話器を奪った。「うちの子の気持ちが分からないの」。だが、同級生は平然と答えた。「おばさん。私も小学生の時、いじめられた。何でいじめちゃいけないの」。
母親は担任に相談したが「様子を見ましょう」とだけ言われた。


 十二月になると優希さんは学校に行けなくなった。

母親は、「娘がレールからはずれていくのを認めたくない」と、無理にでも行かそうとした。
父親の博之さん(47)も「無視ぐらいで負けるな。いじめと戦え」と怒鳴った。


 それでも体が動かない。優希さんは、ストレスを家で爆発させた。壁を殴り、二人の妹に「出て行け」と怒鳴りつけた。心療内科に通い、眠れなくて睡眠薬も飲んだ。
部屋に閉じこもり、本やマンガを読んで過ごした。


 一カ月、二カ月−とそんな生活は続いた。
「私、何をしているんだろう…。どうすればいいんだろう…」。落ちていく自分に、不安が膨らんだ。
そんな中、ふと、あることを思い出した。「私、英語が好きで『いつか留学したい』と思っていたんだ。勉強しなくちゃ」。両親に「塾に行かせて」とお願いした。


 それが立ち直りのきっかけ。娘を、半ばあきらめかけていた両親には一筋の光だった。

〇九年夏から地元の学習塾に通った。一一年春、留学制度があり、不登校生徒も積極的に受け入れている通信制高校「クラーク記念国際高校」に入学した。


 二年生になり、生徒会の副会長に。生徒集会では約七十人の前で司会。私語が聞こえると「こっち見て、聞いてくださーい」と手を大きく振りながら自分に注目させる。

 「環境が変わって、私らしさを取り戻せた」。
今春の学校説明会。いじめが原因で不登校になった中三の女子生徒とその母親に、自分の体験を語った。口には出さなかったが、心の中でエールを送った。
「自分を追い詰めないで。そのままのあなたで、いいんだよ」 
           (細川暁子)

posted by 小だぬき at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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