毎日新聞 2012年11月03日 東京朝刊
ぼくを育ててくれた父は、糖尿病だった。
生真面目(きまじめ)な人で、医師の言いつけを守り、食事にもよく注意していた。
しかし、80歳を過ぎたころ、突然、こう宣言した。
「もういい。これからは食べたいものを食べ、飲みたい酒を飲むんだ」
父は、年齢の割に健啖家(けんたんか)だった。
肉が大好きで、特に脂身(あぶらみ)には目がなかった。
おむつをあてていたが、構わず焼き肉屋や焼き鳥屋に行って、もりもり食べた。
その代わりにぼくは、父に野菜を多く食べるようにさせて、締めのおじややご飯を食べるのをやめさせた。
お酒は糖質(とうしつ)の低い焼酎を勧めた。
糖尿病患者への食事指導としては型破りだが、糖質をできるだけ少なくしたことで、血糖値(けっとうち)はそれほど高くならなかった。
それ以上に良かったのは、父のクオリティー・オブ・ライフ(生活の質)が上がったことだった。
「楽しくなければ人生じゃない」と、父もぼくも信じていた。
父は88歳で亡くなったが、ぼくは亡くなる直前にも父にビールを飲ませた。
糖質制限食について、日本糖尿病学会はなかなかその有用性を認めてこなかったが、最近になって、糖尿病の食事療法(りょうほう)の選択肢の一つとして認めた。
1日の糖質量の目安は130グラム。
ご飯なら2杯半(1杯で55グラム)、6枚切りの食パンなら3枚(1枚で40グラム)にあたる。決して厳しい制限ではない。
糖質も人間にとって必要な栄養素(えいようそ)なので、全くゼロにするのは良くない。だが、糖がいつも血管を流れていると、糖をコントロールするために、膵臓(すいぞう)からインスリンが分泌され、膵臓が疲れてしまう。
たんぱく質と糖質、脂肪のバランスを取ることが大事なのだ。
諏訪中央病院の東洋医学センターでは、糖尿病患者の食事指導の一つに糖質制限食を取り入れている。
糖尿病患者への食事指導はもちろん、カロリー制限が中心だが、カロリー制限で成功しない時、糖質制限食を導入(どうにゅう)すると成功する例がちょこちょこみられる。会社の社長のように、営業活動でごちそうを食べる機会が多い人の場合、糖質を制限するとうまくいくことが少なくない。
ぼく自身も、そうだ。食べるのが大好きなうえに、若いスタッフやお世話になっている人たちとの楽しい食事が、大事なコミュニケーションの場になっている。
それでも体重を「ちょい太」でキープできているのは、糖質を低く抑えた食事のおかげだと思う。
ぼくには2歳の時に別れた実の父がいるが、糖尿病を患い、脳卒中で亡くなったと聞いた。
糖尿病は遺伝することがある。だから、ぼく自身も十分注意している。
ごちそうが続いた日の後は、数日間、できるだけ糖質をとらないようにしている。
朝食はチーズとヨーグルト。
昼食はトマト寒天に野菜サラダとチーズ。
夕飯は山盛りの野菜サラダと納豆、魚と少量の肉を食べる。
ご飯は食べない。ご飯を食べたい時は、白米に黒米か赤米を混ぜると、血糖の急激な上昇を和らげてくれる。
それでも白米を食べたい時には、納豆にモロヘイヤかオクラ、昆布などを入れて、ネバネバと一緒に食べる。
「性格はサッパリ、おかずはネバネバがいい」と、自分に言い聞かせている。ネバネバにはムチンという、糖の吸収を遅くする成分が含まれているのだ。
健康は人生の目的ではない。人生を楽しむための手段に過ぎないのだ。
だから、糖尿病の患者さんにも「3カ月に1度くらいはフランス料理を食べてもいい」と言ってきた。
ご飯やパン、デザートを抜けば、フルコースだって楽しめる。
最近は「低糖質のフランス料理」なるものも登場した。
東京・四ツ谷(よつや)にある「オテル・ドゥ・ミクニ」では、前菜からデザートまですべて食べても糖質20〜40グラム、というコースを出している。
ふすま粉のパンが出てくるが、二つまでは食べていいという。
食べてみて驚いた。
本マグロのづけ風マリネ、キャビア添え、わさび風味に始まり、きのこのカプチーノ仕立てと続く。
魚料理は、ボイルしたマダイに、オクラやモロヘイヤ、ツルムラサキといったネバネバ野菜を添えたもの。
レモンの酸味が利き、うまかった。肉料理は牛フィレ肉と、ズッキーニなどの温野菜を一緒にいただく。
どの皿にも野菜や海藻、きのこが上手に使われている。
デザートも豆乳のブランマンジェや緑茶のシャーベットやショコラと、低糖質のものが続く。
味わっているうちに素材の甘みを感じることができて、満足感がある。
オテル・ドゥ・ミクニは、北里研究所病院の糖尿病の専門医の協力を得て、低糖質のフルコースを作った。
糖尿病やダイエット中の人に好評で、毎日2卓くらいの予約が入るという。
リピーターも増えている。
シェフの三国清三(みくにきよみ)さんは「血糖値を上げないようにしながら、食事を楽しめることを知ってほしい。
我慢し続ける食事療法ではなく、時々自分にごほうびをあげながら、健康を守ることのお役に立てるならうれしい」と話す。
最近はパンやラーメンのめん、ビールなどでも、低糖質の商品が多く出ている。
無理をしたり、我慢を続けたりする「がんばる健康法」から、そろそろ「がんばらない健康法」にシフトしてみてはどうだろう。
「生きている喜び」を実感できなければ、健康である意味がない。(医師・作家)