2012年12月08日

余録:1941年の対米英開戦の前…

余録:1941年の対米英開戦の前…
毎日新聞 2012年12月08日 00時18分

1941年の対米英開戦の前、政権を投げ出した近衛文麿(このえ・ふみまろ)の後継首相に東条英機を指名したのは内大臣の木戸幸一だった。
彼は戦後30年を経て「どう考えても僕にはあれしかなかった」
「東条推薦は失敗だというのは結果論だ」と語った

▲「結果論」といわれても、300万の国民とそれを上回る他国民の生命を奪うという途方もない「結果」だった。
およそ政治は結果責任がすべてならば、そこに政治
はなかった。
勝田龍夫著「重臣たちの昭和史」によると、木戸自身は次のように当時を回想している

▲「もう選択の余地がなくなっちゃったんだ。政治家はみんなどこかに隠れてしまって」
「東条は生真面目だ。政治家でもないんですよ、あの人は、軍人ですよ」「おそらく他の大臣を持って来ても戦争は始まったでしょう」「戦争すれば負けると思ったんだ、僕は」

▲こう見ると開戦必至で、敗戦は不可避だから東条にやらせたとも受け取れる物言いである。
何も今さら木戸の責任をあげつらいたいのではない。
「政治」というものの底が抜けた国がどんな運命をたどるか−−衆院選さなかの開戦の日を前にそれを思い起こしたのだ

▲現代の首相を選ぶのは内大臣ではなく、衆院選の有権者である。
では政治の求心力が失われ、責任の所在もはっきりしない国の迷走が続くというのは、はて昔の話か今のことか。
辛うじて、その先の運命を選べる私たちだ

▲「選ぶ政治家がいない」「誰がやっても同じ」「どうせ世の中は良くならない」。
どこかで聞いた嘆きをもらす向きもあろうが「結果」は自らにふりかかる。
まず政治の底を固める有権者の1票だ。
posted by 小だぬき at 09:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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