2012年12月15日

勝谷誠彦氏「今こそ無知の知を自覚し、善い投票をしよう」

勝谷誠彦氏「今こそ無知の知を自覚し、善い投票をしよう」
2012.12.15 07:00     NEWSポストセブン

 投票を前に、あるいはもう国民の義務を済ませた向きには振り返るべきこととして、私は民主主義の祖国で偉大なる哲学者が語ったことを記しておきたい。


「自分自身が無知であることを知っている人は、自分自身が無知であることを知らない人よりも賢い」あるいは「真なる智への探求は、自己の無知を自覚することから始まるのだ」。

私がもっとも尊敬する先哲のひとり、ソクラテスの言葉だ。
彼の「ただ生きるな、善く生きよ」という警句は、私が座右としていることでもある。
そして、これらはすべて同じことを言っているのだと私は思う。
私なりの稚拙な解釈によれば「自分が何を見ているのか自覚せよ。呆然として流されることなかれ」ではないのか。


 今回の総選挙について、大マスコミは「複雑だ」「投票先がわからない」などとしきりに書き立てる。
普段ならばただの「あんたらにはわからないだろうね」という上から目線なのだが、今回に限っては、メディアもまた行方を読みきれずにいる。
あるいは、いた。結果が出たあとにこれをお読みの方が、そう感じてくれるかどうかはわからないが。


 先の二度の総選挙は「わかりやすい」選挙だった。
いや「わかりやすい」構造をメディアが作った。
郵政民営化、賛成か反対か。政権交代、賛成か、反対か。
結果、チルドレンと呼ばれるバッタものが大量に生産され、有権者はおおいに後悔することになった。


 だが本当に「わかりやすい選挙」だったのだろうか。
郵政民営化がされるとどういうことが起きるのかを、有権者ひとりひとりが正確に把握していただろうか。
民主党の党内ガバナンスがどの程度のものなのかを、わかって政権を任せたのだろうか。


 そうではなかったと私は思う。
煽り立てたメディアは確かに「第四の権力」として節操がなかった。
だが、彼らもたかが商売なのだ。
ひどい店でバッタものをつかまされたならば、買った方にも半分は責任がある。


 ソクラテスの言うところの「無知の知」を私たちはどこまで自覚していたか。
「そんなものは知らないよ」ですませ、「みんながあっちに行ったから、遅れないようについていこう」ではなかったか。
謙虚に「私はモノを知らない有権者だから、勉強しよう」と考えて投票所に行った人がどれほどいるのか。


 これは選挙に限ったことではない、この国はあらゆる場所で国民を甘やかしすぎてきた。
選挙でいえば有権者に「あんたはモノを知らないからもっと勉強して来い」などという勇気は政治家にはなかった。
いや、私が知る何人かの政治家はそうだったが、「傲慢だ」というレッテルを貼られ、不勉強を叱られた大マスコミはそろって叩きのめした。

実はこの国の失敗は「無知に甘かったこと」なのである
「子日わく、民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず」と言った孔子が生まれた国は、まさに今もその通りの古代の闇の中を生きているが、私たちだって笑えたものではない。
長く続いた自民党一党独裁というのは、まさにそんな政治だった。


 しかし、私が名付けた利権談合共産主義が壊れ、大ボス小ボスから「利権のカケラをあげるかわりにここに投票してね」と言われなくなると、多くの有権者は呆然と立ちすくんだ。
そのとき必要なのは「お勉強」だったのだ。
この国の構造について学び、政治家ひとりひとりについて識り、国家の誇りとは何かを自覚する。
これは誰も教えてくれないことだ。あなたや、あなたが学ぶしかないのだ。


 せっかく「自立した個人としての有権者」として解放されながらも「誰かが教えてくれる」とキョロキョロしている間に、この国は二十年ほどもの歳月を失ってしまった。
もう、あとはない。今こそ覚醒するしかない。


 公示日の朝日新聞の一面に、政治部長が興味深いコラムを書いていた。
<わかりにくい衆院選である>と書き出される。
これまでであればそれを「賢い」朝日新聞が解説してみせるのだが、記事の半ばにはこんな記述があって私は驚いた。


<ブームを追いかけ、ときにあおり、物事を単純化しすぎた選挙報道をあらためるときだ。今回、世間が先に気がついた。>


 今さら何を言っているのかと批判することはたやすい。
しかし最後の一節は、私は現場を知るものの正直な認識だと思う。

少なくとも、人々は「無知の知」に気づきつつあるのだ。
ザバン、ザバンと揺すった盥の中の水のような「民意」がどれほど危険であるかを、この十年あまりで思い知ったのだ。


 一年を振り返って面白い現象が、師走になって報じられた。
今年は100 万部を超えるベストセラーがなかったと言うのだ。
多くの報道は書籍不況のせいにしているが、私はそれだけではないと感じている。
モノ書きの端くれとして「小泉劇場」のころからこのかた「なんでこんな本がこんなに売れるのか」と感じることが多かった。
本当に、買った人は読んでいるのか、とも。
なぜならば、それらの内容を受けての論議や社会現象につながっていっていなかったからだ。


 人々が立ち止まって「思考を開始した」ことと、このミリオンセラーの消滅とは、かなり近い現象のように私には思われる。だとすれば、出版社には申し訳ないが、決して悪いことではない。


 さあ、立ち止まり「無知なる有権者」の自覚のもとに、せいいっぱい考えよう。「ただ投票する」のではなく「善い投票」をしよう。自分のため、日本国のために。


 その意識をもって投じられた一票は、たとえ結果に繋がらなくとも、あなたや、あなたの中の財産として残るはずだ。
それはやがては政治に対する興味にもつながり、この国を動かしていく。


 投票行動とは民主主義によって与えられた学習機会である。それをきちんとこなすことが、タフな日本国民を育て長く惰眠をむさぼってきた「おまかせ民主主義」からの卒業証書をようやく貰えることになる。

※『メルマガNEWSポストセブンVol.44』
posted by 小だぬき at 09:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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