2013.2.1(金) 埼玉新聞
2月の退職手当減額前に教員の「駆け込み退職」希望が相次いだ問題は、手当が減額されない期限の31日付で、県内の教員104人が早期退職した。
本来なら年度末までいられる学校現場から2カ月も早く去ることになった教員の一人は「最後まで勤めたかった」と悩み抜いた末の結論だったと明かす。
一方、3月末まで残る教員も「あまりに理不尽」と県教委の対応を批判している。
■突然の通告
県北部にある市立中学校のクラス担任だった男性(60)が退職手当の減額を知ったのは昨年12月。
終業式の日、勤務先の校長から聞かされた。
退職まであと数カ月で、さすがに驚きを隠せなかった。
退職を前倒しするか、3月末まで勤めるか。
回答期限は1月11日。
家族も困惑し、年末年始は何度も話し合った。
家庭の事情もあったが、担任している生徒たちがどう感じるだろうかと深く悩んだ。「子どもたちのことを考えるとつらかった。
最後は経済的な理由から、自分で決めた」
■あり得ない
県南部の中学校教諭(60)は3月末まで勤めることにしている。
1月末で辞めるよりも退職手当は150万円程度減る。
手当減額を知らされたのはやはり12月。
「あまりに理不尽。いきなり、それも12月に入って言いだすなんてあり得ない」と怒りが湧いた。
しかし、生徒たちを置いていくわけにはいかなかった。
「先生、辞めないの?」と尋ねてくる生徒には「辞めたらどうなるか分かるでしょ」と答えている。
ほかの先生が困るだろうし、君たちもそれでいいの、と。
それでも「辞める先生もやっぱり苦しんでいると思うよ」と話すことも忘れない。
早期退職する教員がいなければ、この問題が報道されることもなかっただろう。
よくやったとは思わないにせよ、その人たちを責める気はない。
決断するまでには相当の葛藤があっただろうし、それでもあえて辞めるのには(県教委に対する)抗議の意味もあると思えるからだ。
今回の問題では、早期退職する教員にも批判の矢が向けられた。
「辞める人も銭金だけで辞めるわけではないはず。
それしか抗議の手段がなかったのではないか」
■士気に影響
県教委は、早期退職者の穴を臨時教員で補充することにしている。
この教諭も「(2月以降も)今まで通りやっていくしかないが、全体の士気には影響がある」と今後を心配する。
特に2年後に退職する人の手当は数百万円の減額になる。
人生設計が狂いかねない金額で、ダメージは大きい。
31日付で退職する男性も納得はできない。
なぜ普通に3月まで勤めて退職手当を減らされなければならないのか。
なぜ教員がここまで批判されなければならないのか。
なぜ減額時期を4月1日にできなかったのか。
「制度が理不尽で、教員をばかにしているとしか思えない」と憤る。
三十数年の教員生活。
自分なりに一生懸命に勤めてきたつもりだ。
「あと数カ月というところで理不尽な思いをさせられた。
最後の最後に苦しめられ、弱い者いじめをされた。本当は3月まで勤め、すっきりと辞めたかった」
すごく切ない話でした
川口市の教員が 11人で県下最高の人数とのことですが、管理強化の上 この仕打ちですものね。
私はある意味 いい時に「うつ病」になり退職できたと思うようにしています。
インフルエンザが流行っています。喉の健康に十分にアルコール消毒してくださいね。
私は5年前にIFNの副作用によるうつ病で早期退職した元小学校教員です。
私が辞める数年前早期退職は「後進に道を譲る美徳」として退職金上乗せの優遇措置がありました。
ところが、私が辞める1年前から「早期退職」は「自己都合退職」とされ、退職金減額になったのです。
勿論その時も年度途中にいきなり決まったので上乗せから減額と正反対の措置に怒った人は多かったのですが、「早期退職」する人のほとんどが病気なり家庭の事情なりを抱えており、泣き寝入りするしかなかったわけです。
実際優遇措置中に50歳で辞めた友達より減額になってから53歳で辞めたわたしの方が200万以上少なかった。
これは多分団塊の世代に対処するためのものだと思いますが、長期的展望に立って対処できなかったのかと残念に思いました。
私の場合は まだ恵まれていたと思います。傷病手当2年間と障害年金がつながりましたから・・・・。教員の待遇は 決して恵まれてはいません。年金機構から来た 「将来の年金額試算」を近いうちに公開します。
くれぐれも身体を労り、第2の人生を充実させていきましょうね。
今後ともよろしくお願いいたします。
今ではどちらも大丈夫です。
でもウツはストレスがかかると再発する恐れがあるので要注意です。
小だぬき様もこれぐれもご無理なさいませんように。
命が大事。贅沢は出来ませんが足るを知るってところでしょうか。
為になる記事、いつも読ませていただいております。
今後とも宜しくお願いいたします。
私は未だ 「〜たら、〜れば」から抜け出せずに精神科通院です。
もう大丈夫といわれるまでは 通院します。
あと3ヶ月で還暦。今では よく32年間も勤められたなぁ・・・と感じています。