毎日新聞 2013年02月07日 13時31分
大阪市・桜宮高バスケットボール部に、柔道女子の五輪代表らによる監督告発と、スポーツの指導者による暴力の問題が立て続けにあらわになった。
その後も全国各地で、教師による“体罰問題”が連発している。
まず言っておきたい。
桜宮高のケースを“体罰問題”と呼ぶことが、私にはできない。
「体罰」は自殺したバスケ部主将に「罪」があることが前提だが、記事を読む限り、彼に罪はない。
部顧問の教師は、主将に暴力をふるい、暴言を吐くことで、よく言えば部に一体感を持たせようとし、勘ぐれば自らの支配力を他の部員に見せつけようとしただけ。
単なる暴力行為だ。
その後明らかになった一部の“体罰問題”とは、様相が違う。
たとえば千葉・柏日体高野球部監督が部員4人の顔を平手打ちした件。
監督は、部員の自転車の2人乗り、遅刻、宿題を他の部員にやらせるなど、生活の乱れがあったから、と説明したそうだ。事実なら、まさに体罰だ。
なぜ改めてこんなことを書くのかというと、毎日新聞が今月初めに実施した世論調査で、体罰を「一定の範囲で認めてもいい」と考える人が、42%もいたからだ。
「一切認められない」という人は53%だったが、容認派は想像以上に多かった。
おそらく、生徒側に非があるときの体罰、つまり本来の意味の体罰を念頭に置いた回答だったのだろう。
けれど、桜宮高の問題は違う。
私は本来の体罰も認めないが、単なる暴力行為は情状酌量の余地はない。
柔道のケースを「監督による暴力問題」と呼ぶように、桜宮高の問題も「顧問による暴力問題」と呼ぶべきだ。
教師に暴力をふるう生徒や、学校や教員に理不尽な要求をする「モンスターペアレント」の存在が、「体罰やむを得ず」派を増やしている。
しかし、再度確認、桜宮高と柔道のケースは、根っこが同じだ。
勝利のため、と称して、指導者が選手を一方的に支配し、暴力や暴言で、支配関系をいっそう強化する。
柔道問題では選手が告発したが、15人がまとまったからできたことで、個人ではとても無理だったのだろう。
一昨年制定されたスポーツ基本法は、スポーツは文化であり、権利である、とうたう。
そして「安全かつ公正な環境の下で」スポーツを楽しむ機会が確保されなければならない、と。
いま、絵空事にしか見えない。(専門編集委員)