毎日新聞 2013年02月21日 東京朝刊
◇在宅型終末ケアの拡充を−−きぼうのいえ施設長・山本雅基
「きぼうのいえ」は東京の下町、通称山谷地区にある元ホームレスや行き場をなくした人が住むホスピスケア施設である。
定員は別館を含めて32人。
入居者はさまざまな疾病を抱えた上に関わる身寄りがなく、かつ余命に限りのついた人々である。
02年に開設されて10年、その間に148人をみとった。
入居者の約75%が路上生活経験者である。
入居してくる人は路上から救急搬送された時点から、生活保護の医療扶助のレールに乗っている。
ここに転居してくる際にも、ホスピス医、訪問看護、介護保険によるヘルパー派遣、そしてきぼうのいえのスタッフ・ボランティアによる手厚いケアが保証されている。
学術上の表現は「在宅ホスピス対応型集合住宅」であるが、「ホスピス旅館」「ホスピスアパート」あるいは「路地裏ホスピス」などと呼びならわして、われわれの生活感覚にできるだけ近いものとなるように心がけている。
現代のホスピスは、競うように風光明媚(めいび)な場所に設置されることが多く、豪華なホテルのようなしつらえを誇っているものも少なくない。
まるでそうしなければ円満な死を迎えられなきがごとくであるが、それほどの高価なベッド代を負担できる家庭はそう多くはないだろう。
入所者のほとんどは第二次世界大戦以後の日本の復興を陰ながら肉体労働を通じて下支えしてきた人々である。
そういう人々をドヤ(簡易旅館)の片隅で、あるいは生活保護も受けぬまま高齢になりホームレスとさせ、一人孤独で死なせていいはずはない。
高齢者施設はいずれも絶対数が需要に追いついていない。
病院は急性期中心で、入院は長くても3カ月まで。
特別養護老人ホームは数百人の入居待ち、有料老人ホームは過大な入居金がかかり、年金生活者では月額の利用料が払えない。
そんな中で資産を持たぬいわば、古い表現を借りれば無産階級の人々が、劣悪な環境でしか人生の終末期を過ごせないとは嘆かわしく、悲しむべきことである。
きぼうのいえは、インドのマザー・テレサがインドのコルカタに創設した「死を待つ人の家」を、社会保障制度がある程度成立している先進国で実施する日本版である。
しかし、住む人々は「死を待つ」というより「与えられた命を精いっぱい生き抜く家」として日々を送っている。
マザー・テレサは生前、来日した際、「皆さんがインドに来てくれるのはありがたいが、自分の足元を見てください」と言った。
そこにはインドに劣らずに孤独におびえる人々、物乞いをして生活をする人々、人生の悲しみに打ちひしがれた人々がいるはず。
そういう人々に愛を示しなさい」と言った。
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これからのホスピスケアは、緩和ケア病棟の展開より、在宅を核にしたケアの路線に進むのではないか。
その中でも、独居高齢者が今後ますます増加し「老老介護」、お互い認知症の「認認介護」が進む時代の中にあって、きぼうのいえのような血縁を持たない高齢者が共に住み、それを若年層がケアするという居住形態が必要となってくるであろう。
現代の都市環境で崩壊してしまった、かつての地域共同体、村落共同体を再興させることが必要となってくる。
そういう意味で、きぼうのいえは、超高齢社会のありようを示す一つのモデルである。
そんなに年金がもらえたらねって話
やっぱり、身内の援助がなくては、入れない高級施設だと思った(‥;)
国が税金を投入して 無料にできないのは、利益なし利権なしだからかな と勘繰りたくなります。
本来、採算を度外視してするのが福祉だと思います。悪しき「資本主義」の歪みだと思います。金の多寡で 福祉も医療も生活も違って当たり前という価値観を捨てないといけないと思います。