2013年3月12日 読売新聞
(本音なんでしょうが、びっくりしました)
傾聴とは心理学の専門で「耳を傾けるようにしてその人の話をじっと聞く」という意味です。
先日、「被災地の環境復興」に貢献しているボランティア活動者たちのフォーラムがあったので参加してきました。
傍聴席に座っていて周囲を見たら、みなさん宮城県の活動者ばかりでしたので、パンフレットを見ると「宮城県の支援グループの集まり」だったようで、私はいつものように早合点してしまったのですが、福島県で活動しているのは私ひとりだけなので、よい機会だと思ってずっと座っていました。
最初のスライドが「町民を社会資源化して取り組む被災者支援」となっていたので、「ほ〜、どうやるんだろう」と興味をもちました。
そこでは、ボランティアリーダーの方々が、毎朝集まって早朝企画会議を開き、地域の状態を把握し、引きこもりがちになっているご夫婦の訪問などを、仕事がない元気なお年寄りの誰にしていただくかを相談して決め、「孤独死」を予防しているのだそうです。
老老介護の活動のアイデアでした。
ところが多くの「引きこもり」の方から、「話を聞きに来られては気が引ける。それより何かうまい仕事の話を持ってきてくれ」と言われてしまうのだそうです。
それだけ働きたい中高年が多い。また、無職の若者からも特にそう言われるらしく、「話を聞きにこられるのはたくさんだ。都会に出て仕事がしたい」といわれると。
まさしく「傾聴するなら仕事くれ!」(若い方はご存じないでしょうが、これは女優・安達祐実さんの主演ドラマ中のセリフで「同情するなら金をくれ!」という当時流行った言葉をもじったものです)なのだそうです。
これには驚きました。
福島県の医療支援を震災当時からやっている私としては「傾聴」という言葉は一番大切だと教わりました。
しかし、その難しさが今、身にしみて分かったような気がしました。傾聴なんかしてられないと言われることもあるのだと。
参加者の中で、ある若いお父さんが、「自分の娘からどうしてこんなつまらない町で私を産んだんだ」と言われて愕然となりました
と、悲痛な顔をして発言していらっしゃいました。被災したこの町をなんとか魅力的な町に変えてほしいとおっしゃっていましたが、そのプランが、街角にコンビニエンスストアが何軒も出来て、ソーラーエナジーを設置することで東京から人を呼び現地の雇用を増やし、電柱を家の裏に立て替え、そのうしろに畑をと、夢は大きいのですが、先の困難さを感じました。
かつては農業や漁業が中心の地域ではありましたが、津波がくる以前から決して若者が定着していた町ではありません。
人口が都会へ流れていき少子高齢化のいきおいが激しくなってきていたところに、地震と津波に襲われた。
そこが前と同じような町として栄えるということは非常に難しいと思います。
地元特産の海産物をなんとか高値で売りたい。
農業や漁業を復活させたい。
でもその労働人口は集まってきません。
除染の仕事や土木の仕事で大手の会社がいっぱいやってきて、ホテルは満杯、繁華街は繁盛していると聞いているが、その利益はどこに流れていっているのだろうという不満も出ていました。
あらゆるボランティア活動を行っている人たちが「もう傾聴はいいから、早く仕事をくれ」と言われるとは、誰が思ったでしょうね。
月日がたつのは早く、人の気持ちもうつろうものです。
医療従事者数は全く足りず、高齢者数が増えてきているのもさることながら、病気ではないのだが家の電球が取り替えられなかったり、トイレットぺーパーがなくなったときにすぐに持ってきてくれるような人がいなかったりという独り暮らしが多くなっている。
いわゆるかゆいところに手が届くことを24時間やってくれるのは有料サービスということになります。
こうしたことにボランティア活動員を揃えるのにもお金が必要です。
そのフォーラムでも最後には募金のお願いをしていました。どこも同じなのだなあと思って帰ってきました。
いつも思うことがあります。
それは被災地に行くと「ここに住んで常駐サービスをしてほしい」という現地の要望です。
「この町に住んで私たちの仲間となって一緒に働いてください」。
これはなかなかかないません。
私たちの「きぼうときずな」の活動も3年目に入りましたが、地元出身の保健師さんを東京で探して、福島県で短期間地元の保険センターの保健師さんと協力して働いてもらい、その下部組織として東京から派遣保健師や看護師を送るという作戦に変えつつあります。
ボランティア組織も事業化しなければ個人のモチべーションだけではやっていけません。
予算も企画に基づいて福島県庁とかけあっています。
予算不足で解散」
と、テレビの特集でやっていましたが
矛盾点が余りにも多く
このままでは一向に変わることのない
被災地がそのまま取り残されそうで
寂しい限りです
行政の隙間を埋め 被災者の身近で活動するのですから 少なくとも衣食住と活動資金の援助は 募金からねん出してもいいように思います。これからも長期に渡る復興、善意のボランティアまでも疲弊させない工夫は必要ですね。