2013.3.18 読売新聞 yomi.Dr 海原純子
「あの人さえいなければ職場はどんなに過ごしやすいか!」
「あの人さえいなければご近所は住みやすいのに。あの1人なのよね」
私たちはよくこんな言葉を耳にしたり口にしたりします。
そうなんです。
「あのたった1人のために・・・」嫌な思いをしたり悩んだりすることがいかに多いか。皆さんも経験があるのではないでしょうか。
私はこんな相談を受けると、「それは人間関係の完璧主義のせいでしょうね」などと答えたものです。
「すべての人とうまくいきたい。すべての人に好かれたい」
願望だから、人間関係完璧主義はやめましょうよ、と提案し、「全員に好かれ、全員とうまくいく人なんていませんよね」ということで、この嫌な気分を乗り切ろうとしてきました。
それにしても1人の悪意はなぜこれほど強烈なのでしょう。
私にしても、例えば、講義をしていてたった1人あくびをしている学生がいると、たった1人なのに不快になることがありますし、書いた原稿や述べた意見に対して、たった1人不適切な反論をされるとその反論が全く根拠のないものであっても嫌な気分になったりします。
時々出かけるスポーツクラブで、とても感じが悪い人が1人いるというAさんは、その他の人たちとはうまくいっているにもかかわらず、その1人のためにスポーツクラブに行くのをやめようと思っているとさえ言っています。
「それは1人のことなのだ」「人間関係完璧主義をよそう」と思っても、やはり「その1人」によって嫌な思いにさせられるのです。
最近見つけたダニエル・カーネマン(認知心理学者・心理学者にもかかわらずノーベル経済学賞を受賞しています)の著書「ファスト&スロー」で、「怒った顔は大勢のニコニコ顔の中から飛び出して見える」という実験の一説を読みました。
動物の脳は、悪いニュースを優先的に見つけ、処理するメカニズムが組み込まれ、危険をはらむ言葉や出来事に敏感に反応するのだという。
怒った顔がたくさんいるところから1人のニコニコ顔を見つけるのは大変なのに、怒った1人の顔をすぐに察知するのは、生物学的なメカニズムなのだ、と納得。
つまり、私たちは危険にすぐに対処しようとして「1人の悪意」に反応するメカニズムを持っている。
だからこのメカニズムに気づきつつ、心をいい方向に向けていくトレーニングが心のケアには必要ということなのでしょう。
海原 純子(うみはら じゅんこ)
1976年東京慈恵会医科大学卒業。白鷗大学教授。医学博士。
2000−2010年、ハーバード大学及びDana−Farber研究所・客員研究員。
現在はハーバード大学ヘルスコミュニケーション研究室と連携をとりながら研究活動を行っている。