毎日新聞 2013年03月23日 東京朝刊
2020年東京五輪の招致活動でにぎわった1月から2月にかけて「もう一つの五輪」が開かれていたのをご存じだろうか。
13年スペシャルオリンピックス冬季世界大会・ピョンチャンである。
111カ国から、3000人以上の知的障害のある選手団と、約7800人のボランティアが参加し、韓国のピョンチャン(平昌)などで熱戦を展開。
日本からも選手団84人が参加した。
スペシャルオリンピックスは、知的障害のある人たちがスポーツを通して体力増進を図り、自立への意識と自信を高めながら、地域社会と交流することを目指している。
日本でも05年、長野で冬季世界大会が開かれた。
閉会式であいさつしたのは、当時スペシャルオリンピックス日本の理事長だった細川佳代子さん。
第79代首相・細川護熙さんの夫人である。
「今日はゴールではございません。スタートです」
「10年後の2015年までに、障害の有無などに関係なく、すべての人が地域社会で生き生きと助け合い、共生できる社会にしたい」
この人の馬力は途方もない。スペシャルオリンピックスの理事長を元マラソン選手の有森裕子さんにバトンタッチすると、障害者理解のための教育や就労支援に取り組むNPO法人「勇気の翼インクルージョン2015」を設立。
もっと多くの人にスポーツの素晴らしさを体験してほしいと考え、フロアホッケーの普及に努めている。
フロアホッケーは、障害の有無にかかわらず、みんなで一緒に楽しめるスポーツだ。
11〜16人のチームに知的障害の人が3人以上いて、必ず全員1回は出場しないといけないルールだ。
今は全国に広がり、熊本、山形、長野には県連ができたという。
長野県の鉢盛中学では、1学級が障害のある人とともにフロアホッケーを始めた。その後、毎年4時間ずつ、障害者理解の授業を行っている。
その結果、生徒たちは障害がある人とどうかかわればいいかを真剣に考えて行動したり、いじめが減ったり、助け合うことの大切さを実感したりするなど、いい効果が生まれているという。
細川さんは、障害を持つ子どもの職場体験「ぷれジョブ」にも取り組んでいる。
特別支援学校の卒業生は、働きたい気持ちを持っていても、約7割は就労できない。
そこで、在学中に仕事体験を通じて活躍の場をつくり、地域の絆をつくるのが「ぷれジョブ」の狙いだ。
岡山県倉敷市の支援学校の西幸代教諭が考案した。
生徒たちは「ジョブサポーター」という地域ボランティアの付き添いのもと、放課後に週1回1時間程度、ガソリンスタンドやコンビニ、食堂、魚屋さんなどで仕事体験をする。
最長で6カ月ごとに仕事の体験場所を変える。
賃金は支払われないが、いろいろな仕事を体験することで、その子にどんな能力があるかを見つけることができる。
「ぷれジョブ中」という腕章を巻いて仕事体験をしていると、お客さんから「えらいわね」などと声をかけられることもある。
生徒たちが生き生きとしてくる。
生徒たちを受け入れた側も、その一生懸命さに心を動かされ、ぷれジョブの日を楽しみにしてくれるようになった。
職場の空気も和み、かえって生産性が上がったところもあったという。
こうした経験の積み重ねが、やがて障害者への偏見をなくし、障害者とともに働き、暮らす社会へとつながっていくのだろう。
ボランティア活動に「ハードルが高い」と感じる人も多い。
しかし、細川さんはそのハードルを下げて、多くの人に扉を開いている。
細川さんが理事長をしている「世界の子どもにワクチンを 日本委員会」は「僕のルール・私の理由」という独自の方法で寄付を募っている。
プロ野球ソフトバンク(当時)の和田毅投手が「投球1球につきワクチン10本、勝利投手になったら20本、完封したら40本のワクチンを送る」と決めた「僕のルール」は、当時大きな反響を呼んだ。
以来、建設業の人が「トンネルを1メートル掘ったらワクチン2本」とか、保険会社の社員が「契約1本につきワクチン10本」とか、「本を1冊読むごとにワクチン1本」など、それぞれのルールを決めて世界の子どもたちを守る運動に加わる人が続々現れた。
ぼくもルールを決めた。
諏訪中央病院には医学生や研修医、看護学生などが年間百数十人、研修や視察に来てくれる。
ぼくは、研修や視察に来た医師や看護師の卵1人につき、20本のワクチンを寄付することにした。
研修や視察に来てくれた医師や看護師の卵たちは、知らないうちに世界の子どもの命を守る活動に貢献しているのだ。
細川さんは今、自ら設立したNPOの活動で国内外を走り回っている。
「夫の世話は焼けてないの。夫が弱くなったら、尽くします。しばらくは弱い人のために生きます」
人とお金を集めるパワーはどこから来ているのかを聞いてみた。
それが70歳の現在まで続いているのだ。
脱帽。
そんな人だらけの世の中ならな・・・。