毎日新聞 2013年04月04日 大阪朝刊
こんな心理実験が海外であったそうだ。
まず女子大生を何人か集める。
その中から1人を選び、ある問題を与える。
残りの学生はモニター画面を通して、その模様を別室で観察するのである。
苦痛にゆがむ女子学生の表情や叫び声に他学生は初め動転し、「仲間が不当な苦しみを受けている」と感じる。
だがしばらくすると同情は薄れ、課題をうまくこなせない仲間を逆に侮辱するようになった。
苦痛が大きくなるほど軽蔑の度合いが大きくなったというから、冷たいものだ。
次は京都の小学校であったいじめの例である。
運動会の練習で失敗したのをきっかけに被害児童が「うざい」「きもい」などと悪口を浴びせられるようになった。
そのうちにトイレ掃除のブラシを顔に押し付けられたり、殴る蹴るの暴力へと日増しにエスカレートしていったという。
同じ仲間なのに「一段低く見てよい存在」とひとたび認定すると、いわれなき差別に歯止めがかからなくなる。
人間とはそんな生き物らしい。
生活保護などの受給者がパチンコや競輪で浪費することを禁じ、市民に通報義務を負わせる条例が兵庫県小野市で成立した。
ギャンブルにうつつを抜かすことは好ましくないし、それを「市民が見守る」という理屈はもっともらしく響く。
だが私は不安だ。
苦痛を叫ぶ仲間を一段低く見る。
そんな非情が人間の心には潜んでいる。
貧しい身なりの男性がパチンコ店で周りから小突き回されている。
おぞましい光景が、つい頭に浮かんでしまうのだ。