なにが「自立支援」と言えるのか
(支援するたびに、依存が増すようでは困るのです)
何かをやろうと思っても、ひとりではできないから専門家に助けてもらう。
同時に少しずつやり方を学習していき、最後には自分で出来るようになる。
「自立支援」は、ひとりである事が出来るようになるのを支援すること、と看護大学で習いました。
しかし、ともすればこの基本的な考え方を私たちは忘れがちになってしまうということを最近、学習しました。
「自立支援」で大切なことは、相手が何を自立したいと思っているのかをよく理解することです。
相手の希望に沿って支援しなくてはなりません。
逆を言えば、これを助けてあげるあれを支援してあげるといったような、支援の押し売りをやってはならないということになります。
2011年から3年目に入る福島県支援でも、同じことが言えます。
医療的な自立はまだまだ追いついていない所は多くあるでしょうが、それらを指摘して「手伝ってあげるから」という感じで話を持っていくと、被災地で一生懸命復興している方々にとって、いかにも上から目線で物を言っているようにしか聞こえないのだということを学習しました。
福島県いわき市には、住民票を郷里の町に残したまま避難してきている町民や村民が増え続け、問題視されていました。
いわき市は、いわき市で被災した、いわき市民の方にしか支援の幅を広げることができません。
税金を払わずに、いわき市に避難している県民をどのように支援するかは、大きな問題になっていました。
どの町の人がどこの借り上げ住宅にどのように暮らしていて、現在の健康状態はどうなのか、孤独死の予防対策はどう立てればいいのか、そういったことを誰がやるのか、あるいは町や村に代わって他の誰がやるのかと言ったことも課題になっていました。
しかし、人材もノウハウも持っているところ、たとえば特定のNPOなどにお金を降ろして助けることが、はたして地元の保健活動の「自立支援」につながっていくのかという考え方もありました。
私たちの「きぼうときずな」プロジェクトも何を支援したら「自立支援」につながるのかを考えないと、さきほどの支援の押し売りになってしまうと、悩んでいました。
何もかも「こちらに任せておきなさい」では、町や村は支援をやってくれる所に依存していくことになります。
まして支援活動が一過性のものだったり、都会から時々やってくるだけで、常駐とか滞在とかはしないとなれば、町や村は医療支援活動においていつまでも自立できてないことになります。
ゆっくりでも、たとえ充分でないにしても、自分たちでやっていくことが重要なのであって、それを支援することが「自立支援」という基本に立ち返ることにしました。
震災から3年目。
福島県のある町ではいわき市に在住している町民と、郡山市に在住している町民を再度、全戸訪問することを決めました。
しかも町の保健師たちだけの力でやることにしました。
「きぼうときずな」が2年前に作った資料が、どのぐらい役に立つかどうかは分かりませんが、今回は、町の保健師が一世帯一世帯を訪ねます。
そのときに、どのような調査票で何を調べれば、不活動になりがちな人々の生活習慣や孤独で社会的接点がないために閉じこもっている人々の状態を正確に把握することができるか、そのアイデアを出してもらいたいと頼まれました。
この支援は責任重大です。多くの科学論文に使用されている人間の生活活動に関する調査票はあるのですが、はたしてそれが、今回の震災から3年経った避難住民の皆様にふさわしいかどうか、そこをよく話し合って研究しなければなりません。
聖路加看護大学の看護実践開発研究センターとしては、これまでの医療支援活動も大変でしたが、この調査票作成と分析の依頼は、もしかしたらもっと責任が大きい仕事かもしれないと私は思っています。
でも、町の方からその提案を出していただけたことを、うれしく思いました。
今回の震災募金も被災者に 配分されているのか 報道を見る限り不明ですものね。