2013年06月05日 サンデー毎日
◇岩見隆夫
(いわみ・たかお=毎日新聞客員編集委員)
高齢期に入って、自分の寿命はいつごろまでだろうか、と考えたことのない人は多分いない。
「そんなこと……」
しかし、だれにもわからないのが、寿命問題の幻妙なところだ。
手のひらの生命線を見る手相見が結構繁盛するのを見てもわかる。
私の生命線は長い。若いころ、ほろ酔い加減で道端の手相見に見せたところ、「おお、これは、これは、ご長命……」と驚かれたことがあった。
だが、何歳ぐらいとは決して言わない。
いい加減なものだと思いはしたが、悪い気はしないのである。
仲間が集まれば、「長寿でなくてもいい。ピンピンコロリがいちばんだなどと笑い合うのが普通になったが、コロリはいいとして、その時期はやはり気になるのだ。長寿願望はいつの世も同じである。
ところで、先日、私は寿命を直視しなければならない場面に突然ぶつかった。
がん宣告である。
私事にわたることで恐縮だが、同病者も少なくないと思われるので、ご参考までに記してみたい−−。
この一カ月ほど、私は体調不良だった。倦怠感が続いている。
好きな酒も進まない。右腹部の鈍痛がとれない。
しかし、〈がん〉の予感はまったくなかった。
自宅近くの大学病院でお世話になっている心臓病と糖尿病の医師に減量をすすめられ、約一カ月で五キロ近く体重を下げたが、「一カ月の減量は二キロが限度。
やりすぎるとパワーダウンするなど体調がおかしくなる」と言う人もいて、ああ、それだ、といったんは思い込んでしまった。
だが、どうもおかしい。私は長年親しくしている東京都下公立病院のKベテラン内科医師に電話を入れた。
それが五月二十二日、新聞社時代の気の合った後輩とどういう加減かめずらしく痛飲して帰宅した夜だった。
翌二十三日、私は後期高齢者の医療保険証と財布、たばこを持っただけで病院に出向いた。
待ち構えていたK医師は、「とにかく検査を全部やります。血液検査、レントゲン、心電図……、ヨード造影剤を使用したCT検査、ちょっとその前におなかを触らせてください」と言いながら、しばらく触診していたが、「ぼくの指先に何か触る。あるんですよ」とつぶやいた。
検査場に向かおうとすると、「もう一度お願いします」と再び腹部を押したあと、「やっぱり触る。予感がするなあ」と言って私を送り出した。
手術のあと、女房が、「先生、ゴールドフィンガーですね」と感激したのは、この時の二度の触診のことだ。
◇「アルコール性ですな」に声をあげて笑ってしまった
検査時間は約二時間。
終わるころ現れたK医師は、私に、「全部わかりましたよ。あとで私の部屋に来てください」とニコリともせずに告げたのだ。
これは吉報か凶報か。勘の鈍い男にはさっぱりわからない。
部屋でK医師と向き合った。
「……」
肝臓だけは強い、と思い込んでいたのだが、ついに来る時が来たか、ぐっとくるものがあったが、私は沈黙していた。
CT検査で腹部を輪切り撮影した写真を並べて、K医師は、「右葉肝、左葉肝とも白く丸くなっているところがあるでしょ。全部腫瘍、がんです。
七つか八つ、一番の問題は、右葉に大きいのがあって、そこから出血している。
まずこれを止めなきゃならん。
再出血、大量出血となったら、失血死に直結しますよ。
ですから、きょうはお帰りいただくわけにはいかない。緊急入院です」
「ええ、まあ、末期ですかねえ。肝がんの場合、ステージが1から4までありますが、岩見さんのは3ですね」
満州時代の子供のころ、よく使ったメイファーズ(中国語の「仕方ない」)を思い出していた。
そんな気分になりかけていた。
「それはピンキリで……」
「原因は何です」
「肝臓がんはB型にしろC型にしろ、血液から移ってくるのがほとんどですが、検査の結果それはありません。
まあアルコール性、お酒ですな」
ここで、礼を失するという自覚も乏しく、私は声をあげて笑ってしまったのだ。
納得、という言葉が、心のどこかでひらめいたらしい、とあとで理屈をつけてみたが、真剣に取り組んでくださっているK医師には、何とも不作法なことだった。
医師は少々けげんな顔をして、「私なら頭真っ白なんですがねえ。そうでもない?」と質問されてしまった。
返答のしようがない。
真っ白でないはずはないのだが、なにしろ約六十年間、ほとんど一日のすき間もなくアルコールを注ぎ込んできた人生の帰結、というあきらめみたいなものはどこかで働いていたのだろう。
そんな雰囲気を察知したのかどうか、「きょうから酒とたばこはだめです」ときっぱり通告された。
急拠、医師団が編成され、翌二十四日緊急手術。その後のことはまた書く機会があるかもしれない。
とりあえず、すべての仕事を休止した。
なかでもシアター・テレビジョンで一年半続いた中曽根康弘元首相との対談(月一回)の最終回が手術日と重なり、中止のやむなきに至った。
大勲位にお詫びのしようもない。
ただ「サンデー時評」だけは、病室で気軽に書き続けたいとお願いし、潟永編集長のお許しを得た。
<今週のひと言>
(サンデー毎日2013年6月16日号)