毎日新聞 2013年06月22日 02時32分「社説」
いじめ防止対策推進法が成立した。
いじめは個別の特異な現象ではない。
誰にでも、どこにでも起きることと改めて肝に銘じ、取り組みを学校教育の活性化にも生かしたい。
大津市の男子中学生の自殺など、学校現場で深刻ないじめと、その救済機能が十分働かない実態が相次いで明らかになり、対策が法制化されることになった。
重大ないじめは学校から自治体首長らへの報告を義務づける。
学校は調査組織や相談体制を整え、法務局や警察とも連携する。調査には第三者の目を入れる。いじめた子には必要に応じて出席停止処分もする。
こうしたことなどを挙げ、被害者の救済と教育を受ける権利の保障の視点から、学校、教育委員会、自治体、国などの責任の明確化と速やかな対処を強調する。
ただ、いうまでもないが、この法がなかったから過去いじめ問題が相次いだというわけではない。
一方、懸命に取り組む教員が要員不足や多忙事務にもはさまれて、孤立無援の状況に陥ることもある。
隠蔽の場合、よく指摘されるのは「物言えぬ風土」という背景だ。
だが、隠蔽的な体質はいじめに限定されて出るものではない。
それは、学校運営のさまざまな面で、コミュニケーションや連携がうまくとれていないことの表れではないか。そうした視点も持ちたい。
いじめ問題に取り組み、改善していくことは、学校教育全体のありようを考えさせることにもなる。
たとえば信頼関係だ。
被害に苦しんでいたり、傍観者である自分に悩んでいたりする児童・生徒。その様子を見抜き、相談を受けてきちんと実情を聞き取るには、制度の前にふだんの信頼関係が必要だ。
被害、加害双方の側の保護者との関係でも同様だろう。
こうした法や制度の本来の主眼は、総がかりで問題に当たる姿勢や仕組みでいじめを未然に防ぎ、初期に芽をつむことにある。
文部科学省は今後、法に基づき「いじめ防止基本方針」を定め、地方自治体はこれを参考に「地方いじめ防止基本方針」を定める。
細々とした規定より、取り組みやすい現場の態勢づくり、協力や情報共有の仕組みづくりにまず力点を置くべきではないか。
私は 大人たちが小さい子の遊びの空間や異年齢での学び遊び、小さい子・弱いものを守るためのケンカまで規制したのが いじめの根にあると思っています。
遊びで「ウソっこ」といったのに 弱い子から取り上げるなんておかしい と主張しケンカしなければ子ども集団のリーダーの役目はできませんでした。親も同等か強い相手なら許す、ただ泣いて帰るのは許さないとされたものです。
幼少期の ケンカまで いじめの範疇にいれ 規制したために 抵抗もできない子ども達にしてしまったような気がします。