毎日新聞 2013年07月09日 東京地方版
過ぎたるは及ばざるがごとし。
「過剰適応」と呼ばれる状態にある人を見ると、いつもこのことわざが頭に浮かぶ。この「過剰適応」とは、期待される役割にハマりすぎ、やりすぎてしまっている、ということだ。
それ自体悪いことではないのだが、やはりどこか無理があるので、長く続くと心身のエネルギーがすり減って疲労感に襲われたり、やりすぎが止まらなくなってまわりの人たちとトラブルが起きたりすることがある。
就職活動中の学生にも、時々この現象が起きる。
うつむきかげんでボソボソしゃべるタイプだった学生が面接のトレーニングなどをしているうちに、相手の目を見てはっきり話すようになる。
リクルートスーツ姿のまま出席する授業でも、積極的に自分の意見を述べるようになってくる。
最初は「頑張っているな」と、その変化をほほ笑ましく見ているのだが、どんどん声が大きくなる一方で目もランランと輝き、「おはようございます!」と深々と頭を下げたりし始めると、「ちょっとやりすぎじゃないの?」と心配になる。
「就職活動中の学生」というモデルに、過剰適応しているように見えるからだ。
特に女性には「妻」「嫁」「母」という役割に過剰適応して、そのうち、しんどくなる人が多い。
立場が変わる時に一念発起して「別の自分になろう」と思うのはよいのだが、元の自分とのギャップがありすぎると、体も心も「いきなりは無理だよ」と悲鳴を上げる。
今、まさに参議院選挙の真っ最中だが、候補者たちはどうなのだろう。
タスキをかけて満面の笑みで「よろしく」と手を振り続け、あの中には元々は内気な人や笑顔が苦手な人もいるはずだ。
ある意味で「候補者というイメージに過剰適応している」のだろうが、選挙が終わって疲れでバッタリなどということにならないのか、などとつい余計なことも考えてしまう。
過剰適応の一番の問題は、自分で無理しすぎるあまり余裕がなくなり、周囲に対して厳しくなる人が多いことだ。
「私だってこれほど頑張っているのだから、あなたももっとやるべきだ」とピリピリして、まわりの手抜きやミスが一切許せなくなる。
そうすると雰囲気も悪くなって、結果的にはその人も孤立してしまうことになりかねない。
何につけても、不自然な頑張りはよくない。
ありきたりの結論だが、「ゆとりを残してほどほどに」ということだ。