ブラック企業集中取り締まりの余波
2013年9月6日 読売新聞 YOMI.Dr
(「ブラック企業」が原因でなるといわれる病気があります)
以前「燃え尽き症候群」という現象は、何かに極端に没頭してしまう個人の性格から起こると説明してきました。
しかし今の日本社会は、個人の性格とは無関係に「燃え尽き状態」を作り出しているように見えます。
若者に極端な長時間労働を強いるなどのいわゆる「ブラック企業」という名称は、メディアがその言葉で特集を組むまでになっているのでごぞんじの方も多いと思いますが、昔風に言えば「ブラックリストに載っている会社」でしょうか。
しかし、かつては経営状態に裏表(ブラック)があるかどうかが話題にされていましたが、今は解釈が違います。
「ブラック企業」は、雇用状態が問題とされます。
社員に無報酬で残業を強いる、管理職という名目で体や精神が壊れるまで働かせる、個人が理解できない理由で突然解雇にする。
他にも、具合が悪いから遅刻や早退の希望を出す、通院のために有休を取るなどの行為について、それとなく本人が感じるような「いやがらせ」に似た労働を与えるなどして、心身ともに苦しくさせていく。
他にも細かく調べると、「いやがらせ」の対象者としてはまってしまった個人への精神的悪影響は、時おり想像を絶するものがあります。
心療内科でも10年前までは「燃え尽き症候群」の個人に対して、「働きすぎるのがいけない。
バランスを取って休み休みやらないとまた同じ状態になる、生活習慣や自分の考え方の傾向などを観察し……」などアドバイスをしていたのですが、最近になってこれは個人の問題ではないと感じることが増えました。
朝起きられない、体の倦怠(けんたい)感などを訴えていたのが徐々に「体中の痛みで動けない」という状態になっていく慢性疼痛(とうつう)の一種「線維筋痛症」になっていく患者さまも増えてきています。
当然会社を辞めなくてはならない身体状態になっていきます。
しかし、「もうこれ以上働けないところまで働いた、でも給料は増えないし、働けないならクビだと言われる、もう辞めるしかありません。
元の元気なカラダに戻してください!」と訴えられるのです。
そこには個人を取り巻く周囲の疲労も見え隠れします。
必ずしも「愉快犯」のようにいやがらせをやっているようには見えません。
ひとことで言えば、他の人にも余裕がない。全員がギリギリで生活をしている、疲弊しているといった感覚が話を聞いているとこちら側にも伝わってきます。
他人を助けようというような優しい気持ちになれないぐらい、「職場のあちらこちらに心身ともにおかしい状態の人がいる」と訴える患者さまもいます。
日本の社会は、男女とも年齢に関係なく、健康で心身ともに強いか、あるいは私生活に恵まれた者だけが生き残れる社会になりつつあると訴えられます。
就職ができない人もたくさんいるのだから過酷な労働に耐えられる人、経験があって即戦力になれる人と取り換えたらいいといった経営側の考えも存在するようです。
契約社員やアルバイトをもっと増やす経営方針もあります。
私が訴えを聞いた患者さまは、アルバイトでした。
朝9時から時給で働く仕事なのですが、ノルマをこなさないと「サービス残業」をしなければ仕事のオーダーに間に合わない。
朝9時から準備を始めたのでは1日の仕事が間に合わないのに、朝は天候に関係なくビルの外で正社員が9時ギリギリに来るまで立って待っていなければならない。
他のアルバイトもタイムカードを押すためにそうしている。9時からの仕事開始では準備が遅れてしまうから、鍵をあけるために30分早く正社員に来てもらうか、鍵の管理を特定のアルバイトに任せてくれないかと提案すれば却下される。
要領よくスピードを上げないからだとどなられる。
正社員は朝の9時前から働きたくない、鍵の管理をアルバイトに任せない、個人に信用を置いてもらってないとか、正社員との精神的な差別化を感じさせるものばかりだと他のアルバイト仲間に相談すると、「クビになりたくなければ黙っていろ」と言われた。
アルバイトから契約社員になっても時給はさほど変わらないが、正社員になるのは非常に難しい会社だったので、辞めて就職探しをしたら正社員になれた会社があった。
ところが今度は、アルバイトの欠勤を埋めるために自分が無報酬で働くようなポジションにつくことになり、体を酷使しているうちに慢性疼痛を起こし、指の先まで動かなくなってしまい退職したと訴える30代の男性でした。
弁護士や議員のみなさんは、事実を集めて正当な訴えを起こすこと、労働組合に相談することなどを提案していますが、実行することができるエネルギーをためることができる人は、病に陥ることもないかと思います。
訴えが効果を出すまでには時間がかかり、必ずしも成功するとは限りません。
その間、医療の現場では患者の数が増加していくだろうと私は感じています。
少子化による労働者の減少、働かずして高給をとる管理職、文句を出したらきりがないかもしれません。
でも、言ってもどうにもならないことは言わないほうがいいという考えは、間違っています。
ストレスコントロールの最大の武器は、言いたいことの毒を吐き出すように言うことです。
吐き出すうちに解決策が見えたり、新しいエネルギーが湧いてくることもある。
「どこで、誰に向かって?」と聞かれますが、ときには医療の担当医とケンカをすることもいいかもしれない。
働く現場という意味では、医療者の働く現場も他と同じです。
患者さまを決して見捨てないという精神を強くしていくには、自分たちの働く環境にもしっかりとした信念が必要になってくるでしょう。
社会全体のエネルギーは、人が人の潜在的エネルギーを諦めないことで大きくなっていくと、私は信じています。
その職種の特徴を見極め、労働状況の何を改善していけばその職種をのばしていくことができるかを、個別に考えていく時期なのだと思います。