2013年9月11日 東京新聞社説
静岡県の川勝平太知事が全国学力テストで県の成績が悪かったとして、下位校の校長名を公表する意向を示した。
教師への“罰”で傷つくのは子どもたち。歪(ゆが)んだ競争に追い立てるだけではないか。
学校現場にどんなメリットや効果があるのか。
先に成績が公表された全国学力テストで、静岡県は小学六年の国語Aの平均正答率が全国を5ポイント下回る57・7%。
都道府県の最下位だった。
これを受けて川勝知事は成績の悪かった百校の校長名を公表したいと記者会見で語った。
成績が悪いのは教師のせいだ。校長名を公表して責任を取ってもらう。
反省を促すのだ−と。
文部科学省は学力テストの実施要領で学校名を明らかにした成績の公表を禁じている。
過度な成績競争を防ぐためで、一九六〇年代に続いた学力テストをやめる大きな理由になった。
知事は「校長名の公表は問題ない」と言うが、校長名が分かれば学校名もわかる。
学力テストは本来、子どもがどんなところでつまずいているのか、どんなことができるようになったのかを教師が知り、指導の改善に役立てるためにある。
成績には教師の教え方が影響するのはもちろんだが、地域や家庭の抱える事情などさまざまな要素が反映する。
学校現場はそれらを細やかに見ていくことこそが求められている。
小学六年や中学三年を対象に行われている全員参加式のテストに疑問が持たれているのは、平均値をはじきだし、都道府県をランク付けするからだ。
平均値より上か、下かなど点数のみに関心が向けられ、一人ひとりの課題を見つけるのに役立てられていない。
校長名を公表すれば教師も子どもたちの成績を上げようと競争へと駆り立てるようになる。
むしろそんな弊害の方が心配になる。
川勝知事の発言は地域の実情を無視した、全国一律の学力テストがもともと抱えている問題を明らかにしたといえる。
テスト成績の扱いについて、公表しても罰則がないために秋田県が市町村別に公表したことがある。
佐賀県武雄市は昨年十二月に学校別で公表した。
ほかにも公表を認めるよう求める首長があり、文科省は公表の範囲を自治体の判断に任せることも検討している。
本末転倒だ。
名前を公表される教師たちは萎縮するだろう。
学力テストを学校を支配する道具にしてはいけない。