将来、誰がお墓を見るのか=池田敏史子
毎日新聞 2013年09月13日 東京地方版
究極の「終(つい)の住まい」は、お墓かもしれない。
生前の住まい探しと同様に、亡くなった後の落ち着き先は大きなテーマになっている。
先日、東京都立小平霊園で、樹林墓地の抽選があった。
その模様はさながら大学受験の合格発表のようで、喜ぶ人、落胆する人の表情がテレビで映し出されていた。
今年で2回目だが、今回も10倍の応募があったようだ。
生前に本人が埋葬を申し込むタイプがあり人気が高い。
お墓も自分で決めておく時代になった。
一方で地方出身者が多い都市部住民は田舎に先祖の墓を抱えている。
将来誰も見る人がいなくなる墓地をどうするのか、悩む人も多いと思う。
我が家も千曲川を見下ろす長野の山の斜面に墓地がある。
半年は雪に埋もれ、夏場に行くとススキやハギ、ワレモコウなどに覆われ墓石は見えない。
それを刈り取りながら、景色はよいが、人影のないこの場所を終の住まいとするには寂しいと思う。
知らない先祖との同居にも遠慮があり、都市部で暮らす子供たちの負担も大きい。
かといって都市部にお墓を移せば、かなりの費用がかかるらしい。どうしたものか、まだ結論は出ていない。
お墓に対する考え方も大きく変貌してきた。
今や一族の時代ではなく個の時代に入っている。
夫婦でも別々のお墓を希望する人も当たり前のようになった。
老後の暮らしと同様に、自分らしく生き、自分らしく葬られたいということだろう
従って、遺骨の処理もさまざまで、お墓なしで散骨を希望する人も年々増えているようだ。
また、関西には納められた遺骨で10年ごとに仏様を一体つくる寺があり、毎日遺骨を抱えた人の行列ができているそうだ。
共同墓地のスタイルもさまざまで、埋葬希望者が生前に交流を深める女性専用の墓地もある。
共同墓地は毎日のように参拝者があることや経済的な側面も魅力の一つになっており、高齢者の住まいの多様化同様、最後の落ち着き先もさまざまだ。
ちなみに、福祉施設や有料老人ホームでも共同墓地を持っているところが多い。
福祉施設の場合は、引き取る家族が誰もいないなど条件はあるが、民間ホームでは元気な間に契約をしておけば、ホームで永代供養もしてくれる。
<シニアライフ情報センター代表理事・池田敏史子>