毎日新聞 2013年10月08日 東京地方版
10月1日に安倍晋三首相が記者会見で、消費税率を今の5%から8%に引き上げることを正式に発表した。
翌日の2日は外来担当日。
予想通り、診察室でこの話題を取り上げて「昨夜は眠れなかった」「不安でドキドキします」と語る人が何人かいた。
「引き上げは来年4月とまだ先なのに『昨日の今日』で早くも不眠や不安を訴えるなんて大げさな」と、いぶかしむ人もいそうだ。
だが、昔から「精神科の患者さんは時代のアンテナ」などとも言われており、社会問題にとても敏感に反応しやすい。
中には、実際に自分の生活に直接関係のない海外の事件や紛争などを見るだけで恐怖や落ち込みを感じ、症状が悪化する人もいる。
その人たちは自分にも影響が及ぶかどうかというよりも、遠い国で苦しんでいる人の気持ちを想像し、あたかも自分が経験したかのようにつらさや怖さを感じているのだ。
このようにニュースにいち早く反応して、やや過剰に心配したり遠い国の出来事に心を痛めたりしている人たちを見ると、いつも思うことがある。
それは「この人たちの心のほうがずっと健全なのでは」ということだ。
今の社会、国内でも海外でもあまりにいろいろなことが起きる。
何もかもが不安定で、10年後の平和や繁栄を確約できる人など誰もいない。
特に、弱い立場にいる人たちの生活はますます厳しいものになりつつある。
そういう中で、どんな話題が報じられても「まあ大丈夫じゃないの」と気にしないとか、世界各地での痛ましい災害やテロなどを見ても「私には関係ない」と無視するというほうが、本当はかなり不自然な態度なのではないか。
もしかすると、そういう人たちは何かを感じ取る心のスイッチを切ってしまっているから、そんなふうに無頓着を装えるだけなのかもしれない。
とはいえ、精神科医としては「消費税引き上げと聞いて、ますます眠れなくなりました」と訴える人に、「それが正常な神経です」と何も手当てしないわけにはいかない。
「そうですか。じゃ、睡眠を促すクスリを処方しますね」と言って「不眠症」などと病名をつけ、処方箋を書くしかないのだが、いつも複雑な気持ちになる。
本当に「病気」なのはどちらなのか。
もしかしたら、「消費税アップ? また汚染水漏れ? いや、考えない、考えない」と心のスイッチを切ってしまい、何事もなかったかのように安眠している私のほうなのではないだろうか。
「あべさんの けいきたいさく がしをだし」