君ストーカーをすることなかれ
2013年10月15日 yomi Dr.
(「罪を憎んで、人を憎まず」は理解されにくい)
先週は、高校3年生の女子が自宅の自室でストーカーに襲われて刺殺されるという痛ましい事件がありました。
家に戻って、ホッとしたのちにクローゼットから今一番怖いと思っている人が現れ、殺される。
こんな恐ろしいことが他にあるでしょうか。
しかも警察に安否確認の電話受けたあとで、犯人の恐ろしい感情とともに襲われたのです。
死に至るまでの間、少女のこの世に対する恨みと未練がどれほどだったかを思うと、身が凍るような気持ちになりました。
ストーカー規制法を改めて読んでみました。
これによって罰せられる行為は、恋愛感情などの好意の感情または、それが満たされなかったことによる恨みの感情を伴って行われるものと書かれてあります。
この「恋愛感情が介在する必要がある」が誤解を招きやすい。
恋愛感情とはどういうものかは個人が感じるものだからです。
その他の理由(例えば金銭問題など)と違って、専門家の説明がいらないものだからです。
個人が勝手に恋愛の善悪を決めてしまう危険性があります。
この辺がストーカー事件が起きるたびに、「自業自得」という心ない言葉を発生させてしまう原因になっていると思います。
個人的な異性に対する考えが、そう口走らせてしまうのでしょう。
恋愛感情そのものに善悪があるのではなくて、ストーカー行為という行動に罪があるということを忘れてはならないと思います。
人を好きになる気持ちが罪なのではなくて、その人間がストーカーに変身したことに罪がある。
ストーカー規制法では、下に書いたような行為を繰り返し行った場合がストーカー行為になるとしています。
1.つきまとい。待ち伏せ。進路の立ちふさがり。住居、勤務先、学校などの付近において見張りをしたり住居などに押し掛けること。
2.行動を監視していると思わせるような事実を告げたりすること。
3.面会、交際その他理由のないことを要求すること。
4.著しく粗野・乱暴な言動をすること。
5.無言電話をかけたり、拒まれたにもかかわらず、連続して、電話やファクシミリ装置、電子メールを用いて送信すること等。
6.汚物、動物の死体などを送付すること等。
7.名誉を害することを告げること等。
8.性的羞恥心を害することを告げ、または性的羞恥心を害する文書、図画等を送りつけたりすること等。
6、7、8番目ぐらいになると、犯罪に近くなってきますが、それでも「昔は仲良かったことがあったのに」などと被害者が一方的に言われることもあります。
1〜5に書かれてあることは、元夫婦だった場合や不倫行為があった場合に、相手や相手の周辺に存在を知らせようとする目的で行われることもあります。
しかし「一度は仲が良かったことがあった」という過去の事実があると、どの時点で警察に相談するのかの判断を誤ることもあります。
なんとか事を穏便にすませる方法はないものかと思うからです。
それは人として当然のことでしょう。
自分でなんとかできないか、友人、知人、家族に守ってもらえないかと考える。
これも人として当然の気持ちではないでしょうか。
大ごとになる前に相手が冷静になってくれればいいと願うのは当然な気持ちだと思います。
そうして時間が過ぎていってしまうのです。
ストーカー規制法には、ストーカー自身の特徴が詳細に書かれていません。
しいて言えば「繰り返し」という言葉に表現されていますが、繰り返しとは何回のことを言うのでしょう。
一度でも嫌だと思う人はいませんでしょうか。
相手は粘着性をおびた繰り返しの行為を、恨みの感情とともに徐々にエスカレートさせていきます。
これがストーカーの特徴です。
だんだん静まるのと反対の方向に向かっていくところに特徴があります。「バカらしくなってきた」と諦めるとか、「何をムダなことをやっているのだろうか自分は」と反省するといった方向とは真逆に向かい、1〜8に書かれてあるような行為が悪化していくのが特徴です。
これは対象とされている男女の性格や過去の行為とは全く無関係で、ストーカー個人の閉ざされた世界で育っていく感情に押されて繰り返される行為です。
この心理状態を正確に把握し、危険を回避するために徹底的に被害者の身柄を守るという行為を警察の仕事とすることが理想的なのでしょうが、そこがいつなのかの判断が、難しいのでしょう。
どの時点で警察に行けばいいのかすら判断しにくいストレスがあります。
感情がエスカレートしていくというストーカーの特徴から言えば、「よくも警察に訴えたな」という強い憎しみの感情を逆なでし、次の行為につながってしまわないか?という躊躇(ちゅうちょ)が判断を鈍らせます。
ストーカーは、相手をいとしいと思った過去があったころ、相手からも優しくされていたことを思い出すたびに、その状態に戻りたいという焦りと悔しさが支配して憎しみという感情になり、規制法にあるような行為を繰り返すようになっていきます。
最終的には、殺人という行為すら正当化できると思ってしまうところまで気持ちが高ぶっている。
こうしたことを考えると、被害届を早く出し、とにかく被害者の身柄を安全な場所に確保することが大切だと思うのです。
しかし天災や火事、交通事故などのようにいつ降りかかってきてもおかしくないこととは違って、いつの時点で一般化するのか難しい点があります。
恋愛感情が原因の被害は自己管理を怠ったために起こるというのは正論でしょうが、自己管理は常に相手次第、自分次第なのです。
自分もいつ、どういう感情に走るか実のところ誰にも分からないはずです。
でも「私はそんなことをしないし、されない」と思っているものです。
ストーカー事件の原因の所在を被害者に向けることや、被害にあった人をなじることは、人としてやってはならないことだと言うのは簡単かもしれませんが、本当にそう思うところまでいくのは難しいかもしれません。
今まで、見てきた中で、ひとつだけ言えることは、被害者だって相手ばかりを責めているわけではないことです。
罪を憎んで、人を憎まず。
私はかつてこの言葉をストーカー事件で何度も使ったことがありましたが、ついぞ理解されることはありませんでした。
痛ましい事件が頻繁に起こるようになった今、もう一度この言葉を言ってみようかと思っています。
どうして殺人になるまで・・・
可愛そう過ぎます。
罰則強化のまえに 警察の生活安全課や地域課の強化で 犯行を未然に防ぐことが先のようです。神奈川県警はじめ警察官が猥褻事件を起こすようでは 被害者に救いはありません。
今頃 有人交番や派出所廃止の弊害がでている事件です。事件を未然に防ぐことも警察の役割だと信じています。