セカンドオピニオンの謎
2013年10月25日 読売新聞yomi.Dr
(自分にとって一番いい選択とは)
セカンドですから2番目です。
先入観を持たずに客観的に事態の判断をしてもらうという意味でオピニオン「意見」という言葉が後ろについている。
最初はがんなど命にかかわる病気について他の医師にも判断してもらいたいという希望から生まれたものでした。
気持ちには二通りあったと思います。
「本当に必要がないのなら手術はしたくない」。
もうひとつは「問題ないと言われたが何か見落としてないか」です。
前者は「がんは手術をしない方が治る」という説まで生み出し、後者は、患者側がより精密な検査を望むという社会的傾向を作り出しました。
確かに無駄な手術をしてしまうとか、何か見落としてしまうというミスもありえないとは言えません。
医療情報が手軽に手に入る時代になり、患者自身が治療方法を選択するという行為が、「権利」という言葉で全面的に前に出てきています。
しかし個人の迷いはますます大きくなる一方です。そこでセカンドオピニオンが欲しくなる。一体なにが自分にとって一番いい選択なのかです。
場合によっては、医師を替えることになりますが、実は一番難しいのではないでしょうか。
「そうしたいのであれば紹介状を書きます」と現在の主治医から言われると、なんとなく不安になります。
本当はどっちが言っていることが正しいのか分からないという不安です。
3人の医師が同じ治療方法を推薦しても、どこかに手術をしないで楽に治る方法があるのではないかと、何度もセカンドオピニオンを聞いて回られる方もいらっしゃいます。
手術を勧めない医師には、どこかで必ず行きあたるものです。
高額な治療費をそのために払うのも今では患者の選択の権利となっていますので、誰にも止める権利はありません。
私の知り合いの教授は、毎日のように上記について相談を受けているようです。
ほとんどがセカンドオピニオンで何々先生がこう言っているが正しいかどうか教えてもらいたいといった内容です。
「東京には優秀な医師が集まっていると思う方が多いので、そんなことはないと説明するところからやらなければならない」とこぼしていらっしゃいました。
電話で尋ねられても返答に困るし、やみくもに知り合いの医師を紹介するわけにもいかないとおっしゃっていました。
がんなどの場合と精神疾患では、セカンドオピニオンに対する気持ちが異なるのかもしれませんが、主治医と「お別れ」しないですむセカンドオピニオンがほしいというケースが多いように思います。
病状が改善しないので、現在の主治医がセカンドオピニオンに沿って治療方法を変えてくれればありがたい、だからそうするように書いてくれないかというご希望があります。
これは上記の教授よりセカンドオピニオンを聞かれた医師の方が悩みは大きいでしょう。
医師は、他の医師の批判だけすることはめったにありません。
自分の治療方法の説明はいくらでもします。
「これでよろしければ、こちらにいらして治療して下さい」と伝えるのが礼儀ですから、結局患者側が自分で判断しなければならない。
「現在の治療方法でいいと思いますよ、私でもそうします」と説明する医師もいるでしょうが、いくら病気が改善しないと訴えても同じ説明が繰り返されます。
セカンドオピニオンだけのために4か月も先の予約を取られる方がいらっしゃいます。
それだけのために紹介状を持ってこなくてはならない病院もあります。
セカンドオピニオンは保険では受けないというクリニックもあります。
紹介状は過去の治療の経緯があり、それに沿って治療継続をお願いする形になっているものです。
セカンドオピニオンと一緒にこの患者を自分に返してくれと書いてある紹介状を私はまだ見たことがありません。
私の指導担当官の医師はセカンドオピニオンを嫌っています。
理由は、「1回の意見を聞いてそれでどうしようというのだ」です。
心に精神的な問題を抱えている場合は、今の治療で改善しないと感じたなら医師を替える決心を最初にしてから予約を取ってほしいとおっしゃいます。
2人の医師にかかりたいと希望する患者さまの場合は、「先の医師がやりにくいと思いますよ」とキッパリおっしゃる。
心療内科や精神科の治療は、気持ちがまた異なるのだなぁと実感しているこのごろですが、セカンドオピニオンについては、医師と患者の間で理解にギャップがあるように感じています。
「信じるものは救われる」という宗教的なさとりも必要かもしれませんね。