ストレスに強い人の秘訣は?
2013年11月8日 読売新聞yomiDr.
(どうして過酷な仕事を平常心でこなせるのでしょう?)
本題に入る前に、私自身の話をさせてください。
楽天ゴールデンイーグルスの優勝についてです。
私は先週の連休に福島県へ出向いておりました。
2011年の大震災の後、郡山市にある「ビッグパレットふくしま」という大きな避難所の中で、2000人を超える避難住民の方々の医療支援活動のお手伝いをしておりました。
あれから2年7か月が過ぎて、初めて、同じ場所で講演をさせていただくことになりました。
会場に入った途端に胸が詰まる思いがしました。
すでに建物はきれいに清掃されていて、うそのような静けさなのですが、頭の中で当時の風景が動画のようによみがえってくるような気がしました。
その日の夜、楽天が巨人に敗れました。
まさかということがあるものです。「神の子」とまで称賛される投手でも勝利の女神が微笑(ほほえ)まなかった。
「3対3」、私の気持ちはどん底でした。明日がラストチャンスになってしまったと。
次の日は、磐梯山のふもとで講演でした。
集まってくださった人々に配られた私のチラシには「東京都出身」と書いてあるから、きっとジャイアンツファンだと見られているかと思うと、「なんてとこに来ちゃったんだ」です。
ヒヤヒヤしながら壇上にあがっていきました。
その夜、テレビにかじりつきました。
正直、野球はどうでもいい。
東北の人々が負けた時に落胆する顔を私は見たくない。
なにもここまで登り詰めてから負けなくてもいいじゃないかと、それだけなのです。
私が負けを味わいたくない。
自分自身がくじけてしまうような気がしました。
実に身勝手な性格です。
自分が嫌な思いをしたくないだけで応援しているのですから。
負けたときのマスコミ報道のアレコレまで想像しながら見ている。
こういう悲観的な性格は、イザという時の大勝負に「勝てやしないや」と、われながら情けなく思いました。
「もう1人の自分」を持つ
驚異的な仕事を成しとげ、どんな精神的な打撃を受けても、いきいきと生活を続けることができる人がいます。
余計な心配をふっきって前に進める人です。
心療内科の研修先のドクターがいつもおっしゃることに、「ストレスに強い人の秘訣(ひけつ)は、たいてい、1人になれる空間と時間を持っている」があります。
1人になって自分を客観的に見つめ「もう1人の自分」を育てている人は、ストレスに強いというのです。
自然と触れ合うのもいいでしょうし、部屋にこもって音楽を聴くという人もいます。
しかしこれは、自分の好きな空間や時間じゃなければ意味がありません。
考えてみればぜいたくなことです。
まず1人になりたいほど、その人は毎日が忙しくなければなりません。
でなければ、断ち切られた空間を持つ価値がないことになります。
いつも1人では、独居という生活だったり、ひきこもりだったりとなってしまう。つまり常に孤独ということです。
しかし、孤独に強い人も中にはいます。
それは、孤独の時間が長くても平気というバランス感覚を持っているということで、決して社会から疎外されていたり、断絶されているわけではありません。
私のように、1人の時はパソコンに向かって仕事かメールをするかで、テレビを見れば出ている人が気になり、その他の時間はいつも誰かと関わり合って生きているような人間は、1人になれる空間と時間を全くもってないということになります。
従ってストレスに弱い。
先日、日比谷公園を歩いていたら「ガーデニングショー」というのをやっていました。
東京都知事賞を受賞した作品の前でボーッと見ていると、関係者の方に「お座りになってみてください、また景色が違いますから」と勧められるので座ってみました。
「楽縁」というタイトルがついた作品でしたが、そういえば昔はこんなような縁側という場所が家にありました。
ひとりでじっと小さな庭の花や草を見る。
子どもまでが学校から帰るとランドセルを放り投げて、縁側でひと時の空間と時間を作っていたような気がします。
私のひとつ下の世代が小さかったころにはまだゲームが子どもの最大のオモチャではなかった。
ふと、現代人のひとりになる空間と時間は、地下鉄の座席に座っている時のゲームの時間なのかと思いました。
しかしそれは、自分を見つめ直すことにはならないでしょう。
でも「もうひとりの自分を育てる」の意味では当たっているのかもしれません。
としかいいようがないのですが・・・。
何かいまいち「感染症・アレルギーに弱いの」の方がしっくりとするのですが・・・(御免)