悪事に惹かれる人間の心理
2013年11月19日 読売新聞yomiDr.
(手早く儲けられたらいい、ばれたら謝る)
かつて私に
「悪いことでも、ばれなきゃそっちで儲(もう)けた方がいい、ばれたら謝るしかないけど、悪いことはするなとか偉そうなことをいう人間は偽善者だ」、と言った人がいましたが、正直な方だと思いました。
今日はその犯罪心理について書きたいと思います。
あの悪事がうまく回っているうちは、このまま続くのではないかとタカをくくってしまう。
これが人間の恐ろしいところです。
行く手に何が待ち構えているか分からないほどの悪事でも、魔が差すことがある。
もしかしたら、ずっとできるかもしれないとタカをくくってしまう。
先週、「悪の法則」という映画を見ました。
内容はどこにも書いてはいけない約束になっていますが、タイトルを見ればおよその想像がつきます。
悪事の末路はどうなるのかという「法則」がある。
それに比べると、どんな善行の行く末も誰にも分からないものです。
近頃、日本の市場でエビの種類について偽装があったことがニュースになりました。
あとからあとから同じような業界の方が「申し訳ございませんでした」とテレビに出てくる。
共通点は、どなたも必ずしもお金に困ってやっている人とは思えないところです。
やむにやまれずこうなってしまった、という犯罪は情状酌量という言葉が存在しますが、それぞれの弁明を聞いていても、どこがやむにやまれずなのか理解できません。
ばれなければずっと儲けていられたという悪事だったという他に何があるのでしょうか。
人は生活できるお金があっても、もっと儲けたいと思う。
たとえそれが誰かをだましていることになっていたとしても、商売上手と紙一重とさえ言われる業界もあります。
でも、「ごめんなさい」でおさまる悪事ばかりではないことは、誰でも知っています。
謝ってすまないどころか、知り合いから愛する人まで殺されてしまう悪事にかかわっていたことで分かる。
これほどの「後悔先に立たず」という法則が他にあるでしょうか。
その一方で、殺人事件の裁判でも平然としている被告人もいます。
自分の心の中にある欲求に負け続けているうちに、まるで、悪事に対する判断神経が麻痺(まひ)してしまう病にかかってしまったように、人が変化してしまう。法的証拠がなければ、なんともならないでしょうと平然としている人もいます。
悪事が何なのか自分の心の中で整理がつかなくなってしまうほど、悪事に魅了されつくしてしまった人間の末路でしょう。
悪事は、異常なほど怪しい魅力を持っているものです。
やってはいけないと言われているものほど、やりたくなる。
もともと人間の欲求が満たされるものだから悪事なのかもしれません。
だから、罰則が存在するのではないかと思うぐらいです。
誰だって、人生の晩節を汚すようなことにならないようにと願うものです。
お金に限らず、権力もそうでしょうが、そういったものを手に入れてみたいという欲求のストレスから解放されるような生活が早くからあったら、人は本物の幸福感を感じながら生きていけるのだと思います。
私は、親孝行して、静かに自分の人生を全うしたい
生まれ変わりたくないわ(*^^*ゞ
もっと学習をすればよかったと 思うことを 修復していきたいなぁと思います。
禁止されるほど したくなる、私にもその傾向はありますね。今まで自分のためというより 他人のために働いてきた??ため自覚しませんでしたが、病院の検査前など 飲むな・食べるな といわれると我慢するのが大変です。