2013年12月19日

石井苗子の健康術:人生における「ストローク」の持つ意味

石井苗子の健康術
人生における
「ストローク」の持つ意味
2013年12月13日 読売新聞 yomiDr.

(打つ、なでる、という意味ですが、人間関係を形成している言葉でもあります)


 先日、心療内科医師から「石井君、心臓のエコーを取ってきなさい」と言われて驚愕(きょうがく)しました。
「私、血液検査でどこも悪くないですから!」と申し上げたのですが、なんとなく咳(せき)が気にかかると先生がおっしゃる。

結核でも風邪でもないのだとしたら、なんなのだろうと思い、調べた結果は「心臓に少しだけ逆流が見られる」でした。
原因は、ネガティブストロークの多い環境に長くいるからなのだそうです。


 ストロークという言葉を心理の分野で使うときは、本来の「打つ」という意味ではなくて、人が人に投げかけるサインのことを示します。

ポジティブストロークとは、好感度をもって人が人に接するときに投げる言動です。
たとえば、成績の良い子に対して親が「おまえを誇りに思っている」とか「何々ちゃんは、本当にいい子ね」などに、笑顔を見せながら、時には物を買って与えるとか、あるいは頭をなでるなどの行動をもってすれば、ポジティブストロークのよい例です。


 ではネガティブストロークとはなんでしょう。


 上の例をとって説明すると、病気で学校を欠席し、それが原因で同じ子どもの成績が落ちたとしましょう。
看病中は優しかったお母さんが、成績がふるわなくなったとたんに、「どうしたの、あなたらしくもない」とか「もっと頑張ればできるはずなのに」などと、心配顔と冷たい言葉を持って接すれば、このサインをネガティブストロークだと受け取ります。

言った本人は励ましたつもりでも、相手はそれをネガティブに受け取り、落胆してしまうのです。


 弟や妹ができてから、年上の子どもが母親の関心を引きたくて、いたずらをしたり困らせたり、すねたりするのもネガティブストロークと呼んでいます。


 こういった態度は、大人になってからの組織内あるいは狭い世界の仕事仲間の間でも、常に起きています。

人間関係はこのストロークで形成されていると見ることは、心理学的にはひとつの現象を頭で整理するときに役に立ちます。


 ストレス続きが原因で、私の心臓に機能的な問題が起こっているかもしれないと指摘された背景には、3年以上続くことになる福島県の支援活動を組織的にどう運営していくかで、今、すごく疲れているからだと思います。
体は大丈夫でも神経がまいっているのかもしれません。


 今はもう2011年の当時ではありません。
緊急支援対策の時期は過ぎています。
医療支援をどう続けていくかを、保健という分野で創造しなければなりません。
同時に、人をどうつないでいくかも細かく考えなければなりません。


 人間はいつも同じ感情で自分と付き合ってはくれないものと前提してのち、さらにその人と良いストロークを維持しながら先をつないでいくにはどうしたらいいか、そればかりを考える日々を送っています。


 震災当時は、派遣に協力してくれる人をどうやって見つけるか、寄付金をどうやって集めるかで夜も眠れないほどの戦闘態勢でした。

現在は、人間関係がネガティブストロークになってしまわないようにしなければならないということで、頭がいっぱいです。


 これがなかなかうまくいきません。
じっとしているとドンドン増えてしまうのは、ネガティブストロークの方で、ポジティブストロークは努力しないと急速に減っていってしまうものです。


 私は震災当初から無二の親友と一緒にプロジェクトに参加してきました。
彼女がいなければ、何もできなかったと思うほどの人です。

ところが今、彼女は彼女の所属する組織で、私は私が所属するもう一方の組織でお互いが別々に人間関係の調整に追われています。
つじつまが合わなくなってしまうことすら起きています。

ともすれば、これだけは間違いないと思う信頼のきずなさえ、心の中で疑ってしまいそうになることもある。
勇気を出して胸のうちを明かさなくては、あっという間に自分からネガティブストロークを出してしまいそうで怖いと感じることすらあります。


 私は、そろそろ引退か? と考えることもあるのですが、2人して辞めてしまったら、活動が瓦解するだろうとも感じています。


 活動の原動力となっていたのは、人間関係のポジティブストロークでした。

しかし活動に参加しなかった方々からのネガティブストロークも、この何年か強く受け続けてきていました。
誰が何をやっても、相手からネガティブストロークしか返ってこないということもたくさん経験しました。
俗にいう、すねた態度でしか返ってこないということです。
子どもが親の関心を引こうとして悪さをするのと似ているとすら感じる態度もありました。


 私は昔、組織内での人事異動に理不尽さを感じた時代がありました。
人をあるところから別のところに動かすというのは、栄転でもないかぎり、あるいは栄転であったとしても心理的に大きな影響を与えるのに、なぜやらなければならないのだろうかと。

同じポジションでずっと平和に仕事を続けられないものだろうかと思ったのです。
それでも今は、人事異動が必要であって、それが残酷なものであってもやらなければいけない時があるとよく分かるようになりました。


 しかし早い時期にその人の人生の先を見て、よい方向に人を動かす。
それが一時理不尽な行動のように思われても、なんとかポジティブストロークで状況説明することは、一種の人間力のような才能が必要なのだとつくづく思います。

場合によっては、一生相手から理解されないだろうと思っても決別しなければならないこともある。

時には、自分の中に2人の人間を意識するような行動を取ることもあります。組織を守るためという心理的武装は、逃げ道になるかもしれませんが、組織を離れたところで人間関係を維持しようとしたら大変難しい。


 大きな組織の中でも、昔の武士道精神のような潔さは、なかなか通用しない現代社会です。

まして小さな、しかも人間関係だけで成立しているような環境で、ポジティブストロークを増やしていこうとして心臓までくたびれてくるのかと、自分の人間力のなさを情けなく思いました。


 ドクターに治療方法を聞けば「ストレスを減らすこと」だそうで、私はストレスをストレスと認めない性格をしていますので、そこから治さなければなりません。
私のような性格の方は他にもいらっしゃるのではないかと思いますが、そろそろどこまでやるか、残り時間との相談になってきた年齢かなと思います。

posted by 小だぬき at 00:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 健康・生活・医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
10日程前に北海道の親戚と電話で楽しい長話したばかりなのに・・・昨日訃報の電話があった。
長話した伯母さんが急性白血病で亡くなったと。
白血病だと分ってから1週間で亡くなってしまった。
父も私もオロオロするばかり。
電話では楽しそうに孫の話をしてた伯母さん
ショックです。
病気は怖い!!
Posted by みゆきん at 2013年12月19日 14:08
伯母さんのご冥福を お祈りします。
人生ってわからないよね。
弟の時もやっと「この薬を飲み続ければ、生きられるんだ」とその気になった 翌日 電話をかけても出ないので心配になり様子を見に行ったら 心筋梗塞で亡くなっていました。
途中で勝手に薬を止めてしまうので 段々強いものになり心臓が耐えられなかった・・・。

悔いを残さないように 毎日 いらぬ我慢はしないことに 私はしました。

両親の通院・介護保険・買い物など 一緒の時はすべて 私が支払っています。親父には「あの時・・・・と息子が後悔しないため、払わせて欲しい」と いっています。
私自身も 朝目覚めると 「今日も生きている」と
何か安楽死を願っているような心境の日々です。
Posted by 小だぬき at 2013年12月19日 17:30
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