=元世界銀行副総裁・西水美恵子
毎日新聞 2013年12月22日 東京朝刊
◇授業は十分な準備必要
教育制度の在り方が盛んに議論されているようだ。
国づくりは人づくり。
うれしいことだが、さまざまな意見や改革案を聞くたび、教壇に立つ人の視点から考えてほしいと、切に願う。
帰国中、全国各地の大学や小中高等学校の招待に応ずることが多い。
そのつど教師が事務や雑務に費やす膨大な時間にあぜんとし、危機感を抱く。
私自身の経験は、米プリンストン大学で経済学を教えた数年のみ。
日本の教育問題に関しては素人同然だ。
しかし、その体験から、教えるために十分な準備時間をとることは教育の品質向上に不可欠だと知った。
1足す1は2と言いきれる学問分野は少なく、経済学でもほとんどの問題に正解はない。
だからか、深い学びは、時事問題を教材にして学生と議論を交わす時に訪れた。
問題の本質を見極め、多様な観点から掘り下げ、解決策を見いだしていく。学生の意見を深く聴き、時には挑発しつつ、私も一緒に考える授業だ。
そういう対話型授業を体験した学生は、知識欲が旺盛になる。経済理論や統計学を学ぶ動機が高まり、経済思想史や、思想を変えた背景まで知りたがる。
2時間の授業の準備に丸1日費やすのは、普通だった。
プリンストン大学は、いい授業はいい研究を生むという主義を貫いていたように思う。
教師に研究者プラス教育者としての努力を求め、特に期末に実施される学生の授業評価は、教員査定に相当の影響を与えた。
例えば、将来ノーベル賞候補かと有望視されていた友人は、不熱心な授業をとことん嫌われ、当大学での未来はないと言い渡された。
しかし、教育者としての努力を惜しまぬ者には、最高の環境を与えてくれた。
研究時間はもとより、教えるための種々準備時間を十分に確保できた。
授業量は、毎学期1〜2課目、週に2〜4時間のみ。
秘書のおかげで、事務などにとられる時間はないも同然だった。
日本の先生方は、まるで口をそろえたように「事務や雑務のノルマをこなし、授業の準備時間を十分確保するとなると、1日24時間では足りない」と嘆く。
それでも学習品質の向上に情熱を注ぐ多くの教師に出会っては、頭を下げている。
この秋ゲスト講師に招かれた神奈川県立荏田高等学校でも、深い感動を覚えた。
国語科のK先生が、拙著「国をつくるという仕事」(英治出版)を選択科目「現代文の探求」の教材に選んでくれたのだ。
科目の目的は「生徒を優れた日本語の担い手に育てるとともに、将来、社会の一員として自ら考え、行動できる市民にすること」。
教材の読解演習のみではなく、それを起点に社会とつながり、「人に学ぶ」機会を与えたいと、生徒と著者の対話型授業が計画されていた。
その日まで生徒がたどる学習の道は、先生が写真付きのメールで頻繁に報告してくれた。
そこには、3クラス約70人の生徒が本から学び、お互いからさらに学び合う、「読書駅伝」という仕組みが描かれていた。
順番に読まれた本は、著者の「人間性」と出会ったページに付箋が貼られ、感想文も添えられて、生徒から生徒へと渡りながら新たな出会いを生んでいく。
そうして皆が共有できるエピソードを選び、著者や登場人物の心情とその背景について話し合い、読みを深める。
「言葉を通して人間の生き方を考える文学教育」だと、先生に教わった。
生徒たちは、この過程から得た学びを記述問題として表現。
出来上がった問題を自分たちで解きながら、さらに読みを深めていく。
K先生は、「受験テクニックを超えた学習に、生徒は素直な知的好奇心を示しています」と、しごくうれしそうだった。
待ちに待った対話の日。
澄んだ目に光る星と、深く聴く姿勢、まっすぐな問答、どっしりとした存在感に、君たちは本当に高校生かと驚き、ならば母国の未来は大丈夫と、感じ入った。
授業の後、K先生が「この若者たちは、将来きっと、自分をそして社会の他のメンバーを引っ張っていくリーダーシップを発揮してくれる」と言われた。
それほどまでの成果を生んだご苦労を思い、涙が出た。
「先生が県のスーパーティーチャーに選ばれたんだよ!」と、胸を張る生徒たち。
喜びを共にしながら、そっと祈った。
この表彰が、先生の負担をこれ以上増やさないようにと……。