2014年01月13日

道徳の教科化 規格化はそぐわない

道徳の教科化 規格化はそぐわない
毎日新聞「社説」 2014年01月12日 02時35分

 小中学校の「道徳の時間」を「特別の教科」にし、算数や数学、国語のように検定教科書を導入する。


 識者懇談会の提言を文部科学省は近く中央教育審議会に諮問し、2018年度にも実施の見通しだ。


 いわば「格上げ」だが、それがなぜ必要なのか分かりにくい。
まして内面の価値観や多様性を踏まえて行われるべき道徳教育に、こうした規格化が果たしてプラスなのか。


 道徳教育の強化は現政権の政策の柱だ。

一連のいじめ問題が具体化の契機にもなり、いじめ防止対策推進法は学校に道徳教育の充実を義務づけた。
確かに、いじめのような問題が、心の教育のあり方を見直す論議にもつながるのは自然なことだ。


 しかし、それは道徳の「教科への格上げ」という形ではなく、もっと内容の改革や充実、先生への支援策に向かうべきではないだろうか。


 道徳は教科ではないから、検定教科書も成績の評価もない。
これまで副教材として文科省作成の「心のノート」などが使われてきた。
今回の道徳充実策を受け分厚くした「私たちの道徳」を全国の小中学生に配布するが、教科化段階では教科書会社が内容を競う検定教科書を用いる。


 今後、中教審を経て学習指導要領改定を告示、これに基づいた教科書編集、文科省の検定、現場の採択という手順を踏むが、その前に、もっと論議を積むべきことは多い。


 先生たちにはとりわけ「評価」が悩みのタネだ。
懇談会の報告も、道徳性は極めて多様な心情、価値、態度などを前提としているから数値による評価は不適切、と断じた。


 そこで、子供たちの「学習の様子を記録し、その意欲や可能性をより引き出したり、励まし勇気づけたりするような記述」などを例示するが、何をどういう観点で見て判別していくのか。

これは何を目的に、どういう教育を進めるかという問題に結びついていて、とても重要だ。


 また教科書検定基準が改められ、「よりバランスの取れた記述」を求められるうえ、教育基本法の目標に照らし「重大な欠陥」があれば不合格となる。

道徳の場合、「バランス」「模範」を意識するあまり画一的で「無難」な素材選びや記述に傾きはしないか。これも気になる。


 しかし、本来は教科書に頼るのではなく、先生が身近な問題やテーマで授業を工夫し、多様な見方、感じ方から、個人の尊厳や思いやり、互助、勇気、答えがすぐ出ない問題も考える。
それが基本でありたい。


 思うことや意見を率直に口にしたら、「規格」に合わないかもしれない−−。
もし、子供たちにこんな警戒心を芽生えさせることでもあれば、元も子もない。

posted by 小だぬき at 00:00 | Comment(4) | TrackBack(0) | 教育・学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
道徳を教科にして評価するようになったら、心が荒れてくる子どもがより増えるのではと思います。
評価は自分でするもので、人がしてはいけない。
縛れば縛るほど、逃れたくなるのが人の心ですよね。
それと、どんな教科書を作るのかも、とても気がかりです。(政府に都合のよいものにならないか?)
それに、人の心が評価できる教師がどれほどいるのかも疑問です。
それとも、どこかの国のように、政府の言うこと、大人の言うことを何でも聞くロボットを作りたいのでしょうか。

明らかにやり方がちがうと思います。
心を縛るのではなく心は解放する。逆ですね。
Posted by まる at 2014年01月13日 08:43
私は、まるさんの意見に同意します。
いわば、マナーやしつけの部分は 評価するようなものでなく生活上で学ぶものです。
頭でっかちで 理論100点、行動0点なんていう場面も出てくると思うのです。
多分 徳目を置いて、無批判な子ども達を作りたいのだと思います。価値観の押しつけ・金太郎飴的な従順な子として育成したいのでしょうね。
そもそも日常の場面で 道徳は身につけるもので、教科化は 二重人格の育成になりかねない 危険な物だと思っています。
Posted by 小だぬき at 2014年01月13日 10:44
今の教育は成績重視
人間性を高める、人の痛みを教える先生がいない。
げんこつ一つで体罰・・・大変だよね。
Posted by みゆきん at 2014年01月13日 12:01
昔は ケンカや遊びで 人の痛みや臨機応変にルールを変えることで どの学年の子でも遊べるように工夫しました。子ども達で。今の時代は 汚れ・ケンカ・騒音などに不寛容すぎて 幼い子供時代がすっぽりと抜けているようです。
「愛国心」が狙いでしょうが 決して現政権の価値観のみが「愛国心」とはいえない。
大人が 生き生きと生活できる場の保障がなければ
子ども達は 親の味方をしても 国家権力には 反対する立場に立つと思います。
Posted by ,小だぬき at 2014年01月13日 13:18
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