物忘れを治す薬
2014年1月24日 読売新聞yomiDr.
(アルツハイマー病の予防薬というのはありませんか?の回答です)
認知症を恐れる人が増えました。
職業や家事の能力と無関係に襲ってくること、必ず効くといわれる予防薬がないといったことが、人々に不安をもたらしているのでしょう。
「なるようにしかならない」「その時が来たらその時」と楽観的な方でも、周囲に認知症が増えてくると怯(おび)えるようになっていきます。
認知症には、意識が鮮明な時と、そうでない時が交互にやってくる「まだらタイプ」があり、覚えていないことを周囲に指摘されると否定したり、短気になって乱暴を働くこともあります。
「自分がそんな事、するはずはないのに」という自尊心の喪失は、本人にとって大変悲しく、心理的に強いストレスを与えます。
私はこのごろ思うのですが、ひとりひとりに体の差があるように、脳もそれぞれ異なるのではないでしょうか。
今から私が脳の専門家なんかになれるはずもないのですが、認知症にかかっていない人が何をしているかを、よく観察してみようかと思いました。
物忘れが多くなったと嘆かれる方が多いのですが、覚えていたことを思い出せないところにばかり気持ちを奪われていて、新しく覚える方に気が向いていません。
これは、脳を鍛えるという視点で見ていないのではないでしょうか。
認知症にかからないという薬は現在ありませんから、自分で脳を鍛える方法を考えてみることは、それぞれの予防になるのではないかと思っています。
福島県の医療支援活動で、生活を活発にする方法を考案中なのですが、これはいいかえれば脳を活発にすることであり、何の運動でなければいけないというルールはないのだと気付きました。
先日、コタツに入って毛糸の編み物をやっている女性の会があり驚いたことがありました。
実にテキパキとリーダーが手順の指導を他の人に与えていて、その会話の的を射ていることとスピードがあること、専門用語が多くて分からないことったらありません。
身体運動も積極的でした。
ずっと座りっぱなしではいけないと、伸び運動を促進してみたり。
それを見ていて、そうか!と思ったのです。
やってみたかった大切なことに挑戦する。
いやいややるのが一番いけない。
ちょうど筋肉が鍛えれば戻ってくるように、鍛えようとするとものすごい筋肉痛が襲ってくるように、おそらく脳も使ってない能力を鍛えようとすると最初はすごいストレスに襲われるのではないでしょうか。
でも、もしかしたら、そのストレスと向き合うことが、予防になるのかもしれません。
新しいことも、あこがれと達成感があるなら続けられます。
編み物は完成品を着る自分を見るという夢もあります。
似合いたいという希望もあり、この辺が脳にいい刺激を与えます。
思ったイメージと違っていれば悔しいという刺激もあるし、次に挑戦するかどうかは友達や周囲の励ましも必要でしょう。
ずっと同じことをやり続けてきた人生。
専門家とまでいわれるほど、同じことを繰り返してきた仕事。
これが認知症を招くのではないか。
とんでもない自己流の仮説ですが、趣味を見つけるって何をやればいいのか思いつかないという時点で、すでに認知症の兆候が表れているではないか。
「今までこればかりやってきてたから」を捨てて、新しいことを1日のわずかな時間でやってみる。
年を取ると筋肉と同様に脳の集中力も衰える事を、私は今、体験中です。
舞台の台本に興味も責任感も感じるのに、途中で読むのをやめて他のことを考えている自分がいる。
没頭できない、丸暗記できない、どうしても自分の言い回しにセリフを置き換えてしまう。
若い役者さんが一字一句間違わずに、あっという間に暗記し、速いスピードで演技をするのについていく苦しさったらありません。
何回もやめてしまおうかと思う。
ところがけいこの後、私と同年代の人と話をすると「あれはあれだから」といった、とりあえず口に出す短気な言葉が減っている自分に気が付きます。
やっぱり訓練なんだなと思いました。
相手のセリフに集中しなければ演技が出来ないから、人の話を集中して聞く訓練になっているのでしょう。
演劇は立派な運動にもなります。
時には過激な運動を知らず知らずのうちにやっていて、帰宅すると筋肉痛だったりする。
高齢社会の活性化のひとつに、演劇サークルの奨励は必要だと思います。誰にも応援されなくても、やってみたいと思ったら集まって劇を作っていけばいい。
ただし、演劇なんて大嫌いだという人を、強引に勧誘してはいけません。
ここが肝心です。
肺炎になったら 生命にかかわることになりますから・・・。
ここ1週間は 十分に静養し 元気を取り戻して欲しいです。