ピンチをプラスに変えるリラックス法
2014年2月4日 読売新聞yomiDr.
(突然起こるハプニングで、自分の心身の状態を知ることができる)
天災のように、個人の日頃と無関係なハプニングも含め、多くのハプニングは「避けられない出来事」として受け止められています。
ハプニングはまた、自分がその時どういう行動や心理的状態になるかを知るよい機会でもあります。
2011年3月11日の東日本大震災の時、私の隣にいた30代の男性は2度目の地震が来たときは動けなくなってしまいました。
当時オフィスの10階にいたのですが、激しい揺れのせいで、まるで生き物のように本棚の本が飛び出して鉄砲弾のように人に当たる現象を見てその男性は腰が抜けてしまったようでした。
反対に私は咄嗟(とっさ)に本棚に向かって走り出して倒れないように押さえていました。
あとから「石井さん、まるで熊みたいに本棚の前に仁王立ちして押さえてた」と言われました。
このように、非常時の際に自分がどんな行動に出るか、どんな心理状態に陥るかは日常生活の中では、なかなか測れないものです。
天災を経験することはさすがに人生で何度もないでしょうが、交通事故に遭遇したり、仕事場で起きたりするハプニング体験はよくあります。
役者の業界では、自分や相手がセリフを忘れるというハプニングがありますが、それに怯(おび)えていたら仕事が出来ません。
鈍感に構えて、「やってみなければわからん」という度胸が必要になってきます。
どんな上手な役者でも完璧ということはありません。
ちょうどオリンピック選手が本番で初心者のようなミスをするハプニングと同じように、舞台でセリフが記憶から飛び、頭が真っ白になってしまうことがあります。
何回も自己練習してリハーサルの時は何も問題なかったのにです。
咄嗟にとんでもないセリフが飛び出してくることもある。
だから出番前は全員が緊張しており、とくに若手の役者たちは各々がリラックス方法を考えています。
中には笑い上戸になってしまうほどテンションが上がる人もいます。
でも、そういう人と楽屋が一緒だったから芝居が出来なかったというのは言い訳にならない業界です。
それぞれのリラックス方法なのですから。
ところが、思わぬハプニングが全員をリラックスさせた出来事がありました。
先週の舞台初日の幕開きで照明がつかなかったのです。
照明、音声、舞台セット、舞台裏はすべてその道のプロの人たちがやっていますから、我々はハプニングはないものと勝手に決めつけてスタンバイしています。
舞台に明かりが差してこないと客席がザワザワッとなってきます。
こうしたハプニングの場合に仕切るのが「舞台監督」の仕事です。
咄嗟に全体にむかって安心してよいという説明をするのも大変な仕事です。原因をただちに究明して発表しなければなりません。
ぐずぐずしているとパニックになっていきます。
幸いにしてすぐに復旧しました、その間何分何秒という短い時間でも人間の心理状態の変化は様々で、その短い体験がその後の生活に影響するという人がいないとも限りません。
最初からは舞台にいなくてもいい役者たちは、楽屋でモニターを睨(にら)みながら自分の出番を見計らっているのですが、当然ながら「どうした!」と騒ぎだす人や、ジッとしている人、自分が行ってなんとかするべきなのではないかとソワソワする人など、様々な態度が見られました。
私は不思議と落ち着いていましたが、隣にいた役者さんが言った言葉が印象に残りました。
「おれ、こういうのって意外にリラックス方法になるんだよね。
ミスしてくれるとホッとするんだよ。
ああ、僕らだけじゃないんだってね」
そうか〜と思いました。何もかもそろっているんだから、あとはアナタがやるだけ、プラス客席に感動を与える責任もアナタにあるんだからね、と言われるプレッシャーというのが役者にはあるんだと気がつきました。
時には無関係なハプニングがリラックスにつながるということもある。
気を取り直して始まった舞台は、全員のチームワークが良くなったようです。
役者たちが「ここから踏ん張るのはこちらだ」と無言で言っているような感じがしました。
余談ですが、私は幽霊役で、セリフの中に「スタジオの機材が故障するのは幽霊の念力が強すぎるからだ」というのがあり、実際に今いる劇場内で起きたハプニングを経験しながら、もしかしたら自分がなにかやっているんじゃないかという幻想に浸っておりました。