誰もが感動依存症?
毎日新聞2014年02月11日 東京版
聴覚を失った音楽家が作ったはずのヒロシマ鎮魂の交響曲は、実は別人が作ったものだった。
それどころか替え玉による作曲は18年にも及んでいた。
その交響曲も、もともとは広島や原爆と関係ない作品だったというのだから、怒りを通り越してあきれてしまう。
実は私もそのコンサートに出かけ、迫力ある曲に感動し、最後に登場した“作曲家”に立ち上がって拍手を送った一人。
聴覚だけではなく全身にいろいろな病があるとかで、腕には包帯、つえをついて歩く姿に涙を流している聴衆もいた。
事が発覚してから、交響曲のCDを聴き直してみた。
重厚な作品であることは変わりないが、やはり感動は半減。
ある評論家が言っていたように、確かにさまざまな名曲をつなぎ合わせて作ったようにも聞こえてくる。
「ひどい話だ」と思いながらも、「では以前は何に感動していたのだろう」とも思う。
「別の人が作っていました」とわかっただけで薄っぺらく聞こえてしまうということは、その作品にではなく、あくまで「聴覚障害がありながら生まれた作品」という物語に感動していたということなのだろう。
もう何年も前、クラシック音楽CDの制作に携わる人から聞いたことがある。「最近はただ名曲、名演奏というだけではCDは売れない。
演奏家が悲劇を背負っているとか難病に立ち向かっている、といった物語がないとだめなんです」
テレビを見ても、毎日のように「感動のドキュメント」が放映されている。
会社が倒産した、家族を失った、余命を告知された−−といった困難な状況に巻き込まれ、それを乗り越えようと頑張っている姿に多くの人が涙し、励まされる。
しかし、いつしか私たちは周囲にあふれる感動の物語にマヒしてしまい「もっと感動させて」と、刺激を求めすぎていたのではないか。
だからこそ、「被爆2世で幾多の病と闘う作曲家」という物語に飛びついてしまったのだ。
もちろん、純粋に応援していたファンを裏切った“作曲家”の罪は大きい。
彼が作ったことになっていた楽曲で演技をするフィギュアスケートの高橋大輔選手ら、直接の被害に遭った人もたくさんいる。
とはいえ、私たちの側にも考えるべき問題はある。
それは誰もがいま、「もっと泣きたい、もっと感動したい」という感動依存症になっているのではないか、ということだ。
ソチ五輪でも多くの感動物語が生まれるはずだが、ちょっと複雑な気分の私である。