京のカエル、大阪のカエル
毎日新聞 2014年02月18日 東京版
自分と同じ世代、つまり50代前後の人たちで集まると、インターネットをよく使う人とそうでない人とで「触れている世界がまったく違う」と感じることがある。
特にソーシャルメディアと呼ばれる対話型のツールをよく使う人は、自分と同じ分野に関心を持つ人たちと絶えず情報交換をしているせいか、「今みんなの関心があの事件に集中しているね」などと言う。
ところが、50代ともなると「パソコンもほとんど使わない」という人も少なくない。
そうなると当然、ネットやソーシャルメディアともあまり関わらない生活なので、テレビや新聞が情報収集の中心になる。
今であれば、「やっぱり気になるのはオリンピック」ということになろうか。
もっと下の世代になると、「情報はネットで」という人たちがぐっと増えるのかもしれないが、50代くらいではちょうど「新聞・テレビ派」と「ネット派」が半々という感じなので、集まっても話題がかみ合わないということもしばしばある。
しかもネットを多用する人たちは、一般的に「新聞やテレビは真実を報道していない」と思いがちで、誰かが「テレビで見たんだけど」と言うと「ダメよ、テレビなんかに頼っちゃ!」と否定し、場の空気が険悪になることさえある。
ネットも好き、でもテレビも好きな私は、こういう場面に出くわすといつも昔話の「京(京都)のカエルと大阪のカエル」を思い出す。
これは、京のカエルが「大阪の町を見たい」と、大阪のカエルが「京の町を見たい」と思い、互いに見物に出かけ、旅路の途中の山の峠に出会ったので立ち上がって向こうを眺め、互いに「京も大阪も何も変わらんな」と言って戻ることにした、という話だ。
これにはウラがあり、カエルの目は頭のてっぺんについているので、立ち上がったときには背後が見え、京のカエルは今来た京を、大阪のカエルは大阪を見ていただけだったのだ。
この物語の教訓は、「物事を確かめるにはまず自分自身をよく知らなければいけない」ということだが、「新聞・テレビか、ネットか」も同じだろう。
「そっちのメディアは正しくない」と批判の対象にしているのは、実は自分が見ていたメディアのほうでした、ということもあるかもしれない。
もちろん、一番望ましいのは「ネット、新聞、雑誌、テレビ……と、いろいろな情報源をバランスよく見ること」なのだが、それほど難しいことではないのは、あえて言うまでもないだろう。