解決難しい「社会的孤立」
毎日新聞 2014年02月25日 東京地方版
記録的な豪雪で、関東甲信越地方を中心とした多くの集落が「孤立」という状況に陥った。
災害に関連した行政機関のサイトで調べてみると、「孤立」とは「道路交通や海上交通による外部からのアクセスが途絶し、人の移動、物資の流通が困難もしくは不可能となる状態」を指すのだそうだ。
いくら電話やネットは世界とつながっていても、道路が雪で埋もれモノが届かなければ生活は成り立たない。
3年前の東日本大震災の際にガソリン、食料不足に苦しんだ被災地の友人は「つい、『食べ物がないならネットでピザの宅配を頼めばいいじゃないか』とパソコンに向かい、『何をやってるんだ。無理に決まってるじゃないか』と気づく。
でもまた時間がたつと『ネットで水を頼もうか』なんて思ってしまう。
つくづく便利な生活が身に染み付いていたと感じる」と話していた。
久しぶりに道路が開通し、移動販売の車とともにテレビカメラが入った集落では、隣近所同士で助け合って、孤立していた期間を乗り切ったようだった。
高齢者が多い中で少しでも体力のある人が除雪をし、食べ物の備えがあった人は近所でそれを分け合う。
孤立は1週間近くに及んだのに、人々の表情は意外に明るかった。
「え、この人が87歳?」と驚くほど若々しい高齢者もいた。
診察室に来る人々の中にも、「孤立」に陥っている人がいる。
その人たちは物資がないわけではなく、家族や友人、近所の人々との交流が途絶えている、いわゆる「社会的孤立」と呼ばれる状態にあるのだ。
高齢者が多いが若い人でも、気づいたら孤立していたという人は少なくない。
この人たちはコンビニにも自由に行けるしネットで好きなモノを手に入れることもできる。
しかし、日々の暮らしの中で面と向かって誰かと会話することもなければ、生活の中で困ったことが起きても気軽に誰かに相談することもできない。
診察室で「今週、誰かと話したのは今日が初めて」と言う人もいる。
その表情は当然ながら暗く、年齢よりもずっと老けて見える人もいる。
雪害によって生じた集落の「孤立」と、都会の中での「社会的孤立」。
それを比べて、どちらがマシ、などと言うべきではないだろう。
ただ、雪による道路の通行止めは除雪が進めば解除になるが、誰とも交流がない人たちへの解決策は、より難しい。
うれしくないことではあるが、「孤立」が時代のキーワードになっている。
何の為に生きてるかって考える時間が増えて増えて
そして生きている意味を失う人が・・・。
悲しいものです。
孤独には耐えられても孤立には耐えられないのが人間なのでしょうね・・・