「自宅で死ねますか?」
2014年3月18日 読売新聞yomiDr.
(質問の答えは「ご自身の意思決定次第です」)
前回、保育改革をテーマに書いたところ、「『介護と仕事と子育て』をすべてこなすことは可能ですか?」という質問を受けました。
私が30代のころ、「未来の女性像」をテーマにお話しする機会があり、育児や介護といったことについて意見を述べると「日本の古き良き伝統を大切にしない女性」と非難された経験があります。
「妻が家事と育児と介護するべき」と反論をする男性もいました。
しかし今や「男と女のどちらが悪かった」というようなことをいっている場合ではない時代になりました。
目先の問題をどうするかのほうが深刻だからではないでしょうか。
問題を先送りにしてきた結果、超高齢化社会に間に合わなかった在宅介護や訪問看護なのですから、そう簡単に解決はできませんが、もっとも早い解決方法は、高齢者ひとりひとりが、自分の生活についてどうしていくかの意思決定を下すことです。
かかりつけ医との相談、地域の介護サービス情報の収集、現実問題になる前に知識を身につけておくことや、自己健康管理の標準を自分で決めておくことです。
父親が、南の島で元気に独居生活をしていた知り合いに、最近、その父親が住む地元方からクレームの電話が入ってくるようになりました。
一度ボヤを出されたことがあったとかで、「東京にいる息子が医師なのに父親を放っている」などと非難され、父親の顔色がすぐれないというだけで電話がかかってくるそうです。
その都度、親族の誰かが島に飛んでいくのですが、ご本人から必要ないと追い返されるの繰り返し。
現役の医師である息子が親戚の女性に頼らざるを得ないのを申し訳なく思い、入院を勧めると父親にイライラされるのがイヤだとおっしゃる。
家で最期を迎えたいと望む高齢者が増えてきているそうですが、自宅で行き届いた医療を受けられるかどうかの保証はありません。
独居生活では無理でしょう。
介護サービスを受けるにしても、最低でもひとりの付き添いが必要です。
私の妹の場合も、最期は私が仕事を辞めるか、入院させるかの選択をせまられました。
知り合いで夫の母親の介護をしていた主婦が、ある日、在宅お風呂サービスの後で夕食を済ませた姑(しゅうと)が深い眠りについた様子を見て安心していたら、そのまま息絶えていたのだそうです。
あわてて救急車を呼び心肺停止が確認され、病院に運ばれたのはいいのですが、その後は警察の刑事さんが家に訪ねてきて、あれこれ質問され非常に不愉快になったと言っていました。
最初から人を疑ったような質問を何度もされ、思い出したくもないほどの不愉快な経験をしたと言うのです。
警察に知り合いがいるのでたずねましたところ、最近は様々な介護サービスと家族の間で問題が発生することもあり、仲介役として警察が中に入ることもあるとかで、自宅で介護中に息を引き取られた方についての調査は仕方ないことだと説明されました。
それに向けての一般的な講習会や説明会については、「特別に開いていません」とのこと。
昔の「縁側で日向ぼっこしているうちにお亡くなりになられていました」のような死に方を高齢者が望まれても、その後に警察に事情聴取のような形で訪問されるのは、介護をしてきた人間にとって気持ちのいいことではありません。
末期のがんや認知症の親の最期を自宅で看取(みと)りたいと思うなら、早急に対策を立てないと時間的に間に合わないような状態になっています。
高齢者の見守りの家の草案を持っている聖路加の教授たちと建設内容も含めて、今から検討していく計画がありますが、実現は5年先かというスピードです。
看護師の医療的権限をもっと増やしていくことも早急改革のひとつに入れてほしいと思います。
母は自宅で倒れて病院に搬送、3時間後に亡くなってしまった。
最善を尽くすって言葉があるけど、最後を看取れるだけで違うから、死に場所が病院だと、解剖されずに済むから、病院で死にたいわ
孤独死は嫌よ(ーー;)
何か真冬に戻ったような気温、電気代に目をつぶりエアコンが 頑張ってくれています。