2014年04月23日

担任の入学式に欠席した女性教諭はなぜ責められるのか

石井苗子の健康術
担任の入学式に欠席した
女性教諭はなぜ責められるのか
2014年4月22日 読売新聞yomiDr.

(その時、息子と夫はなんと言ったのか)

 「○○らしくしなさい」とは、子どもの頃に目上の人からよく言われた耳慣れた言葉です。
「男らしく、女らしく」が代表的でした。

「女らしく」とは何かといえば、男性から好かれるような女性のかわいさだったり、誰からも愛される女性という答えが返ってくる。

「母親らしく」といえば、子どものためには命をかける覚悟があるかなんてことまで引き合いに出され、それが美徳と教育される。

そんな時代を見ていたであろう50代の女性教諭が、勤務する高校の入学式に休暇届を出し、担任となった学級の生徒や父母にお詫わびの手紙を残し、自分の息子の別の高校の入学式に出席したことは、意味あるできごとでした。

 これを「らしく」で表現すると、「母親らしいが教員らしくない」だったり、仕事に一生懸命「らしさ」に欠けるといったところでしょうが、いずれにしても、曖昧な言葉です。

有給休暇の平等性の視点から見れば、休暇は休暇で話は終わりなのです。

何々だったらいいが、何々ならダメという視点は、どうしても偏見の匂いがします。

 ずいぶん昔になりますが、楽屋に自分の子どもを連れて来たある外国人の芸能人を、女性小説家が批判し、「論争」にまで発展したことがありました。

他の出演者に配慮が足りないといった内容だったように記憶していますが、「時代だな〜」と、今回のニュースで久しぶりにあることを思い出しました。

 故・伊丹十三監督のスタジオで私が通訳のアルバイトをしていた時、妊娠中の女性スタッフが辞めさせられたことがあり、外国から来ていたスタッフに「妊娠が理由か?」と、かなり不思議がられました。
まるで悪いことをしたみたいじゃないかと。

撮影現場は危険だからという日本人的な愛情表現があったのでしょうが、外国の方には「そんなことは自己責任」とさっぱり意味が分からない様子でした。
「妊婦したから仕事を取り上げるとは何ごとだ!」とのこと。
夫がいるなら仕事をする必要がどこにあると言っていた日本女性のスタッフと対立していました。
そういう時代が90年代まであったのです。

 詳細なことはわかりませんが、その女性教諭の夫はどうしていたのか。
彼女はシングルマザーなのか、息子がどうしても来てほしいと言ったのかなど、深い事情を知りませんから、こういう場合は許可が取れたならそれ以上は何も問わないのが常識だろうと私は思うのです。

 最近、「モンペ」と呼ばれるモンスターペアレンツから、「忙しい親が入学式に来ているのに、担任が休暇を取るとは何ごとかと批判した」とネットの記事で読みました。

私が育った古い時代もどうかと思いますが、「忙しい親が出席しているのに」とまで発言される現代の教員ストレスもコントロールが大変です。

 私がもし現役の親で、「主役は子どもなんだし、明日になったら出てくるのだからいいじゃないか。
親に自己紹介が遅れたぐらいでガタガタ言うな」なんてコメントをしたらどうなっていただろうと思いました。

 東京大学では、入学式・卒業式に両親と祖父母まで参加し大人数になってしまうので、大学側が参加ルールを作るしか方法がなかった例があります。

親族が行きたいと言えば学生は来るなとは言えない時代なのかもしれません。
子どもの健康管理の名目で親が受験に付き添うので、受験生がバスなどに乗り遅れ、試験開始時間に間に合わないとうハプニング?も最近ありました。

これは「母親らしい」ことなのか、それとも利己主義の部類に入るのでしょうか。

 小学生高学年になれば、気持ちを表現する子もいるでしょう。
「一度しかないことだから来てほしい」と言うか「来なくてもいいから」というかは、その子どもの性格かもしれません。

 私個人としては、苦労してひとりで育てていれば、有休を取って息子の入学式に参加していいと思ってしまう。

もう先生は静かに教室に戻っているでしょうから、今後、騒ぎ立ててほしくないと思います。
間違っても彼女がテレビの画面に出てくるような事態にならないでほしい。
ストレスフルな顔を見なくてすみますように、静かにしてあげてほしいと思います。
posted by 小だぬき at 12:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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