医師に辛さを分かってもらえない時に…
大津 秀一(おおつ しゅういち)
緩和医療医。
東邦大学医療センター大森病院緩和ケアセンター長
2014年4月24日 読売新聞
前回(下記に)は、患者となってみて、病院の医師が患者さんの満足するように時間をかけることが物理的に簡単ではないと改めて実感したことをお伝えしました。
今回は心理の面からの話をします。
私の場合、気持ちはすこぶる元気でしたが、症状の辛つらさは確かに一時想像を絶しました。
ではこの辛さが医師にわかるか、というと、同病を患ったことがない限り不可能だと思います。言葉で共有するのが非常に難しい症状を有した時、医療者が感性次第でどれくらい辛いかを推測することはできても、実際にその身になるというのは無理だと痛感しました。
一方で、同病の患者さんのブログも拝見しましたが、「もう無理だから、諦めて、受け入れましょう」と言われて怒りを覚えた、はなはだしく落ち込んだ、という記載を数多く見つけました。
確かに「治らないから受け入れるしかない」のですが、自分自身がこの症状を味わっていれば、この言葉は出て来ないと思います。
しかし体験していないから、良かれと思ってその言葉が出るのです。
誰が悪いわけでもなく、これが人の限界と言えるでしょう。
話を聴いてくれるところ、確保して
では、このギャップを患者としてはどう対処すればいいのでしょうか。
まず、患者は自分が感じている症状の辛さを医師に言わねば絶対にわからない、と捉えるべきです。
言ってもわからないくらいですから、言わねば絶対にわかりません。
伝わるように工夫して述べたことによって医師に対応してもらえることもあるでしょう。
一方で、どうしようもない症状に対しては医師から手立てがないと伝えられることもあるかもしれません。
それは受け止めていくしかないかもしれませんが、その過程で目の前にいる医師のほかにも活用できるものがいくつかあります。
少しでも気持ちを「聴いてもらえること」によって楽になるという側面は必ずあります。
だから他に「ちゃんと話を聴いてくれる」ところを確保するといいでしょう。
ご家族が聴いてくれるのならばそれに越したことはありません。
けれども受け止めるご家族も大変で、またご自身の遠慮からなかなか辛さを言えないということもあるでしょう。
その場合は、緩和ケアチームに関わってもらうという方法があります。
しかし緩和ケアチームにも関われる限界があります。
最近私が注目しているのは、大病院で行われている患者会やサロンなどの集まりです。
あるいはインターネットで同病の患者さんのブログを探したり、会を見つけたりという方法もあるでしょう。
私自身も同病の患者さんのブログに大いに励まされ、またあるブログのメッセージ欄に様々な同病者のメッセージが寄せられているのをみて、これが各々おのおのの苦悩の緩和につながっているのだろうなと得心もしました。
幸運な方は自らつながったり、誰かが紹介してくれたりして、聴いてくれるところに出会えたという場合もあります。
しかし自分で探さなければ、なんともならないことも多いです。
同病の患者さん同士はそうではない人よりはお互いの境遇を分かり合いやすいです。
有益な情報も交換できるかもしれません。
そのようなネットワークを自ら望んで利用すると良いでしょう。
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患者になって再痛感した
外来の慌ただしさ
大津秀一のオフィシャルブログ
2014年4月17日 読売新聞
昨年、ある病気になりました。
そこでしばらく病院通いをしました。
この一連のいきさつについては、またいずれどこかで記したいと思っているのですが、久しぶりに患者としての経験を積み、いくつかの気づきがありました。
今回と次回はそれを記したいと思います。
医師には本当に時間がない!
患者になって改めて痛感したこと。
まず1つ目は、やはり物理的に医師には時間が少なすぎるということでした。
特に外来診療においては、じっくりと患者さんのお話を聞く時間も説明する時間も、本当にないのです。
ましてや相手の心理的なつらさに目を向けて、それに配慮した声かけをするというのは外来では難しいことでしょう。
あるいはそういう懇切丁寧な対応を多くの患者さんに行っている先生もいらっしゃるかもしれませんが、そうすると時に時間がかかり過ぎて今度は待っている患者さんの中から苦情が出るかもしれません。
それでも私は短時間で相手に配慮した声かけはできるとは思っています。
しかし時間をかけて丁寧に説明するのは、特に混んでいる外来では簡単ではないことなのです。
また外来の時間で、出す薬剤の主作用・副作用を全部説明するのも難しいことです。
さらに言えば、説明を受ける患者さんの性格もまちまちです。
副作用を1つ言っただけで「もう飲みたくない!」という患者さんもいれば、いくら副作用を言っても「大丈夫、大丈夫。飲みます、飲みます」という患者さんもいます。
いずれにせよ定型的な説明では満足感につながらないことは確かです。
患者さんに合わせるのが最良なのですが、そのニーズを掴つかみ取るのも、短い時間でその方にもっともふさわしい説明を行うのも、容易なことではありません。
だからこそ、やはり患者さん側もある程度はご自身の病気のことを調べて、それでもわからないことや、本当に自分が気になることを聞くのが良いと思います。
きちんと準備をして、今日はこれだけは聞こうという質問を2、3個用意しておくと良いでしょう。
あるいは医師を前にするとあがってしまって忘れてしまう、いつも聞きたいことが聞けなくて終わってしまうという方は、紙に書いておいてそれをみながら質問すると良いでしょう。
限られた時間、患者側の努力も必要
日本のシステムは、とにかく自由に病院にかかれるものですから、病院の患者さんの数が減ることはなく、したがって医師は一人あたりに割く時間を少なくしないと回りません。
それが患者さんの満足になかなかつながらない長さであることは、先にも述べた通りです。
しかしそれではシステムを変えよう、と言っても、他国では自由に病院にかかれるわけではなかったり、入っている保険によってかかることができる病院が指定されたり、そもそも人によっては保険がなくて多額のお金を払わねばならなかったりします。
日本の制度が一番良いとは言いませんが、他と比べて悪い制度とまでは言えないですし、また私たちはこの制度を政治家(国政選挙)を通して許容しているとも言えます。
今後もそう簡単にシステムが変わるとも思えませんから、当面続くであろうこの時間が足りないがゆえの問題を、患者であるほうも織り込んで動いていかなければ、結局満足できないのは自分になってしまいます。
「患者さんが、患者さんが、と私たちばかりひどいじゃないか!」
「まずは医療者が、とりわけ医師がしっかりしてほしい」
そういう方の気持ちもわかります。
けれども私は常に現実的です。
今、皆さん、患者さん、そして医療者が幸せになるのは、「限られた時間であることを相互に認識しつつ、その中で満足できるコミュニケーションを取る」方法から始めることだと思います。
医療者が患者さんの気持ちを汲くみ取ろうとすることも当然ですが、患者さん側も病院の医師にはこのような状況があるのだということを知って、賢く立ち回らねばなりません。
これから夜桜よん♪