香山リカのココロの万華鏡:
論文も「シェアする」時代?
毎日新聞 2014年05月13日 首都圏版
大学の授業でいわゆる「コピペ」、他人の文章を自分のリポートなどに無断で丸写しする問題を取り上げた。
STAP細胞の論文にそれと思われる箇所があったことがきっかけとなり、いま全国の大学で「コピペ問題」が語られていると思う。
学生たちももちろん「基本的にはコピペはしてはいけない」と言い、理由を問うと「自分で考える力がつかないから」「著作権侵害だから」などと話す。
しかし、あれこれ議論するうちに「よく考えるとコピペはそれほど悪くないのでは」といった意見も必ず出てくるのが興味深い。
「誰が考えても同じような文章になるような箇所は、時間節約のため前の人が考えたものを使ってもよいのでは」「完全にその考えに共感している場合、“私も同じです”という意味でのコピペならありではないか」という具合だ。
「自分で書いた下手な文章を読ませるより、コピペでちゃんとしたものを読んでもらうほうが親切」という意見には思わず噴き出しながら「なるほど」と納得しそうになってしまった。
いまの大学生の多くは、物心ついた頃からインターネットに触れてきた。
そこには無数の情報や知識があふれており、多くが無料で提供されている。
そうなると、もはやそれが誰のオリジナルなのかには、あまり関心がなくなる。
というより、「このネット空間の情報や知識はみんなのもの」という感覚なのだろう。
よく若い人は自分が撮った写真などをネットで公開して見てもらうことを「シェアする」と言うが、まさに情報や知識もシェアされるものと思っているのかもしれない。
今後、誰かのリポートや論文を丸写しして「コピペしたんじゃないですよ。
ネット上にある知識の集積を“集合知”というのを先生は知らないんですか?
私はその集合知をシェアしただけです」などと言い張る学生が出てきたら、どうやって「それはいけないこと」とわかってもらったらよいのだろう。
はじめに書いた側も「どんどんみなさんでシェアしてください」などと言い出したら、事態はさらにやっかいになる。
精神科医としては「コピペばかりしていると自分は何かという大切な感覚がなくなる」などと言えるが、大学の教員としてはどう言うべきか。
おかしなことで悩む5月となった。
しかし、いまの時点ではやっぱりこう言っておこう。
「たとえ稚拙でもいい。自分の頭でしっかり考えて発言したり、リポートを仕上げたりすることが大切だよ」