香山リカのココロの万華鏡:
おとなに疑問抱く瞬間
毎日新聞 2014年06月03日 首都圏版
ある雑誌から「給食の思い出」という取材を受けた。
実は私は子どもの頃、学校給食が大好きで、そのことを原稿に書いたこともある。
それを見た編集者から「もっとくわしく語ってください」と依頼があったのだ。
「どんなメニューが好きだったのですか」「おかわりは週に何回くらい」などと質問を受けながら、小中学時代の給食のことをあれこれ思い出した。
私は給食が好きだったのだが、クラスには「給食が苦手」という同級生もいた。
牛乳やにんじんなど決まった食材がダメという子も「とにかく汁ものが全部きらい」という子もいたように思う。
担任の先生によっては「給食を残すのは許さない」という決まりを作り、昼休み時間が終わるまで席について食べるように強制している人もいた。
たしか中学2年のときのことだったと思うのだが、どうしてもある食材が食べられない同級生が先生の目を盗んでそれを窓から投げ捨てた。
まわりの子は見て見ぬふりをしたのだが、不幸なことに先生に見つかり、「捨てた人も見逃した人も、いや、みんなの連帯責任だ」と激怒して「授業が終わった後、みんなに居残って反省文を書いてもらいます」と言った。
いま考えても理不尽な話だが、10代半ばの私たちはなんだかやたらに気持ちが高揚し、「反省文なんて書くのはやめようよ」と全員で決めた。
そして、先生が「じゃ、反省文を書いた人から職員室に持ってきて」と言い残して出て行った後も、誰ひとり鉛筆を取ろうとせず、「給食を残したっていいじゃない」「私もきらいなおかずがあるよ」などとさかんにおしゃべり。
もちろんその後、先生にはさらに怒られたが、結局、「もうわかった。帰りなさい」と帰宅許可を勝ち取った。
あのとき私たちは、いったい何と戦ったんだろう、とふと考えた。
それまでは「先生の言うことは正しい」と思って素直に言うことをきいていたのが「全員居残り」と指示されて「それは違うんじゃない?」とはじめて疑問を抱いた。
そして、「そうだ、おとなの言うことにも間違いはあるかもしれないんだ。全部に従わなくたっていいんだ」と気づき、みんなで確認したのだ。
それは妙に気持ちがたかぶる経験だった。
最近の子どもたちにも「おとなはいつも正しいわけじゃない!」と目覚める瞬間があるのだろうか。
あまりに反抗的になるのも問題だが、私としてはひそかに「おとなに疑問を抱く瞬間、あればいいのにな」と思うのだ。
今は豪華なメニューに好き嫌いの食材は、見事に隠され、アレルギーの子はそれなりに(^^;
凄い給食だよね。
昔に比べれば 格段に良くなっています。
私が小学校の時は、脱脂粉乳の食管をこぼす当番が 英雄視され喜ばれたのを懐かしく思いだします。
牛乳も ビン→三角→長方形などに変化してきました・・、昔には戻りたくはないものです。